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Meister Interview 緑 健児(Midori Kenji )

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新極真会代表理事/緑健児

株式会社協同商事 コエドブルワリー代表取締役社長
朝霧 重治

  • 朝霧 重治プロフィール
  • ダイジェスト版(読了時間5分)
  • 記事全文(読了時間15分)

小江戸ビールとは


Q:小江戸ビールはどんな地ビール?

さつまいもからビールを造った。九州では、さつまいもを原料に、焼酎を造っていることをヒントにして、川越で収穫されるサツマイモをビールの原料に使えるのではないか?という視点から始まりました。特にB級品として破棄されていた規格外のサツマイモの有効活用です。サツマイモを使ったビール=正確にいうと発泡酒(※日本の酒税法ではサツマイモはビールの原料として認識されていないため)を、観光に来るお客様に、美味しくて、インパクトのあるビールを造ろう、というのが我々の地ビール事業の始まりです。「地ビール」の名の通り、地元の原料を使って作っていた地ビールが少なかったため、本当の意味での地ビールは、我々が走りだったと思います。

これまでになかった「サツマイモ」を原料にしたビールという発想と、地酒の日本酒の蔵元がなくなっていた時期でもあったため、販売店様にも受け入れられ、また手前味噌ですが、地ビールとしての品質も担保していたため、お客様のウケも非常によく、当時の地ビールブームに乗って、川越市の郊外で経営していた工房兼レストランの業績はかなり好調でした。ブームが去った後も、その規模感でやっていれば、事業として今でも十分に成立していたと思います。

Q:「地ビールブームが去った」とは?

多くのブルワリーが直面した問題ですが、規制緩和からほどなくして、地ビールブームはあっという間に過ぎ去ってしまいました。反省点はたくさんあると思います。一番の問題は、日本にビール職人が少なかった状況下で、規制緩和により、本来は熟練した職人の技を要するビジネスを、全国各地で素人的にスタートさせてしまったということ。小規模ブルワリーは、オートメーションではなく手仕込みですから、当然ながらビール職人が必要になりますが、ブームに乗って、昨日までビールを造ったことがない人が、いきなりビールを造って販売していたようなもの。中華のシェフがいきなり、和食を作り始めた状況と同じで、とうぜん美味しいビールは造れない。ビールとしての品質が追い付いていない状況の中で、小規模販売を理由に、観光地価格で販売をしてしまったため、お客様の満足が得られず、すぐに正体がばれてしまいました。
観光地ですたれてしまった「地ビール」を、観光地価格で地元の人が買うわけもありません。そうした状況からそれほどの時間を要さずに、地ビールはすたれてしまったのです。

「小江戸ビール」が直面した問題


Q:「小江戸ビール」が直面した問題とは?

一つは好調だった時に生産量の拡大が必要と判断し、大規模工場を作ってしまったことです。現在ではじゅうぶんに稼働している工場ですが、その当時、レストランに併設しているパブブルワリーとしての規模から考えると、数十倍の規模の工場で、莫大な固定費がかかり、単純に赤字を垂れ流してしまう、まさにそんな状況でした。 その他の要因として、その当時、日本経済はデフレ化が進んでいたこともあり、大手メーカーから発泡酒が投入され始めたタイミングでしたが、発泡酒に対する消費者の評判が、安かろう・まずかろうという非常に悪い状況でした。当社のビールは、前述の通り、ビールの原料として認識されていないサツマイモから造っていたため、商品カテゴリーとしては「発泡酒」であり、「あれ、実は発泡酒らしいよ」と、消費者の安かろう・まずかろうのイメージと一色単にされてしまいました。さらに、通常使わない原料である、サツマイモを使った地ビールがキワ物的な位置づけにされ、徐々にお客様は離れていきました。また、事業開始当初から、ドイツよりブラウマイスターを招き、社員として働いてもらうことで、技術導入と共に本格的なドイツスタイルのビールを醸造していましたが、サツマイモを使用していないこれらのビールについても、「芋を使っている」と誤認識されてしまっていたような状況。地ビールブームの終焉と同じ時期に、この状況が起きてしまい、まさに2重苦となりました。

Q:ピンチから脱却するために取り組んだことは?

「地ビール」のイメージから、どうしても脱却をしなければならないと判断し、味もブランドもすべて造り直そうと決意しました。ただ、そこにはさらに大きな罠が潜んでいました。残念ながら、マーケティング的な視点が欠けてしまっていたのです。

Q:マーケティングに失敗してしまった?

地元の観光名産品としての規模であれば十分でしたが、デフレになった時にも大手メーカーと競争できる価格帯を実現しようと躍起になっていました。当時の大手メーカーの発泡酒の価格は350ml缶で140~145円程度で、そこをベンチマークしていましたが、それは蓋をあけてみれば、単純に工場を稼働させるためだけの価格設定で、利益は薄く、事業としての意味をまったく成していない状態でした。小規模ブルワリーである我々がマスプロダクションで、既存の大手メーカーと同様のことをやっていては、当然のごとく消耗戦となり、疲弊するだけ=つまり事業として意味がないことに、後になってから気づいたのです。もともとビールの高付加価値化ということをモットーにしてやっていたのに、こんな大きな工場を作ってしまったせいで、稼働率を上げるため、赤字を埋めるために、といった理由で、いつの間にかブルワリーとしてのポリシーも変わってしまっていたのです。
マーケティングの失敗は数値に表れ、2003年に副社長となった時には、ビール事業が大変厳しい状況であることは、はっきりとわかりました。ブランドの立ち上げから7~8年もたって、事業として独り立ちできていない状況は非常にまずい、撤退か?継続か?の選択まで迫られましたが、我々は消費者にどんな価値を提供していくのか、何に集中するべきなのかを再度考え直すことにしました。

Q:ブランドの再構築に向けて、着手したことは?

ブランド再構築を考えた時に、最初に思いだしたのが、学生時代にバックパッカーなどで、ヨーロッパを放浪し、ドイツのビール工場や、ビアホール・パブでビールを飲んだ経験です。私はお酒が大好きですが、実はお酒に弱く、すぐに顔が赤くなります。ビールなら1リットルも飲めばもう十分だとわかっていたため、大ジョッキではなく、いろんな種類のビールを少しづつ選んで飲む!という、ある意味女性的な飲み方が、ちょうど良いと考えていました。ヨーロッパの飲食店にはたくさんの地ビールが並んでいますが、どのビールがどんな味で、どういう飲み方をすればいいのか、をウェイターやウェイトレスが説明してくれます。しかも、みんなが楽しそうに自分なりのこだわりや、熱意を持って教えてくれるし、実際に飲んでみると違いがわかるから、お客様も楽しい。
また、その頃、個人旅行がブームになってきていて、ビール好きの人が、リアルなビール文化を楽しめる機会も増えてきていました。ガイドブックを見れば、ベルギーはビールの国、英国に行けばビールは「エール」と呼ばれ、キンキンに冷やさずにパイントグラスで泡のない状態で楽しむもの。ドイツに行けば、ビアガーデン・ビアホールで、「オクトーバーフェスト」などの世界的なビールの祭典なども紹介されていて、徐々にそういったリアルなビール文化を楽しむ人が増えていました。