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Meister Interview 斉藤 りえ(Rie Saito)

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作家・政治家/斉藤 りえ

作家・政治家
斉藤 りえ

  • 斉藤 りえ
  • ダイジェスト版(読了時間5分)
  • 記事全文(読了時間15分)

まえがき


Grateful-Japan9回目の取材にして、初めて女性の“匠”をご紹介する。
小柄でスマート。やさしい笑顔が印象的な、とても美しい女性だ。
その女性は、23歳の時に故郷である青森から単身上京し、銀座の高級クラブでホステスとしての道を歩み始めた。独自の接客方法が多くの顧客から支持され、瞬く間にナンバー1の地位にまで上り詰める。自身の半生を描いた書籍はベストセラーとなり、有名女優の主演でTVドラマ化までされた。26歳の時に第一子となる女児を出産し、シングルマザーとなる。仕事と子育てを両立させながら2015年に政治家の道を志すことを決意。同年の4月、31歳の時に東京都北区議会議員選挙に「日本を元気にする会」公認候補として出馬、過去最多となる6630票を獲得しトップ当選を果たす。現在、東京都北区議会議員として精力的な活動をする傍ら、作家として執筆活動も続け、10月20日には新書も出版された。

ここまで話を聞いただけでも、31歳にして既にもの凄い経歴と実績の持ち主である。銀座高級クラブのホステス、作家、そして政治家。その女性が歩んできた道は、どれも一流しか生き残れない厳しいプロの世界だ。そんな世界に生き、これらのことを成し遂げてきたのが、実は「健常者」ではなく、一歳の時に病気により完全に聴力を失った「聴覚障害者」である、という事実を皆さまは信じられるだろうか?
音が聴こえない世界では、相手の声だけでなく自分の声も耳に届かない。人とのコミュニケーションが極めて困難であることは容易に想像ができる。障害を持ちながらも幼少の頃から「人と関わること」が好きだったその女性が、母親と二人三脚で普通では想像もつかない努力(※ご本人はそう語らない)をし、手に入れたコミュニケーション手法=言葉が「筆談」だった。そう、今回ご登場いただくのは、ご自身の半生を描いた著書「筆談ホステス」がベストセラーとなった、斉藤りえさんその人だ。

一の言葉で、十のことを伝えてくれる“筆談”

インタビューの中で、斉藤さんが筆談を用いた場面は3回あった。 筆者が「これだけは必ず聞こう」と用意していた質問に対する斉藤さんからの回答で、書かれた内容はどれも漢字を含む、短文かもしくは漢字一文字。それで十分だった。斉藤さんは自分の想いを、一文字の漢字や短い文章に表現して、明確に伝えることができる。気持ちを伝えるために、ついついたくさんの言葉を発してしまう筆者とは根本的に違った。そんな斉藤さんの半生を振り返ったメッセージ。ぜひご一読いただきたい。

斉藤りえさん インタビュー


Q:「聴覚障害」と向き合い、努力されてきたこと・苦労されてきたことは。

苦労したのは私よりも母親の方だと思います。私に言葉の概念や話し方を教えてくれたのは、全て母親です。聴覚障害者が言葉を理解し、話せるように訓練をするのにはその前提として大きく二つのケースがあります。もともと健常だった人が、あるタイミングから聴覚を失った場合と、私の様に物心付く前・もしくは生まれつき聴覚がない場合です。後者の場合は「音」や「言葉」の記憶が一切残っていないため、言葉の概念や発言方法もすべて「目」で見て得た情報から覚えていく必要があります。耳が聴こえない当事者も大変ですが、教える側にも大変な苦労があると思います。母親にとってもわからないことだらけの中、何とか私に言葉や発生のコツを覚えさせるために、様々なツールを用意してくれました。「あ・い・う・え・お」と書かれた文字のカードや、「1・2・3・4・5…」と書かれた数字のカード、動物など「絵」と文字が掛かれたカードなどです。それらを用いて、同じ鏡を見ながら大きく口を動かして、文字や数字・絵の意味を結びつけて理解するために、発声方法を工夫しながら一つ一つ親身に教えてくれました。これは後から知ったことですが、私のように物心付く前から聴力の無い人が、「発声」で会話ができるようになることはとても稀なことだそうです。母親は私の障害を「自分のせい」だと思ってしまっていて、そのことに対して私も申し訳ない気持ちでしたが、私が聴覚障害を克服することが出来たのは母親の献身的で一生懸命な教育のおかげだととても感謝しています。

Q:「人と関わることが好き」と思えたきっかけは?

「人と関わることが好き」と思えたきっかけは、高校生の時に、アパレルショップでのアルバイトに誘ってもらったことです。障害のことにとても理解のある店長さんで、耳の聴こえない私になんと、人生で初めて「接客」の仕事をさせてくれたのです。ただ、自分は耳が聴こえません。目が合っているお客様でも言っている事をきちんと理解することが出来ませんし、目が合っていないお客様からは声を掛けていただいても気付くことができません。それでも何とか、きちんと接客をしようと、自分からお客様のことをよく見る様にして、自分から話しかけることを心掛けました。お客様が欲していそうなこと、求めていそうな案内を考え、説明の方法などを学び、研究しました。その結果、お客様も私を理解してくれるようになり、人と関わっていく仕事がどんどん好きになっていきました。

Q:単身上京、銀座の高級クラブでホステスになろうと思ったきっかけは?

実はホステスの仕事は銀座が初めてではなく、高校卒業後19歳の時に青森でも少し経験していました。その時に「筆談」を使った接客をしたことが私の「筆談ホステス」としての始まりです。その後、東京でOLさんになることに憧れて上京。事務の仕事に就きましたが、ずっと椅子に座って毎日同じ仕事をすることに疑問を感じていました。私は電話対応もできないため、仕事で人と接する機会もあまりなく、自分の中でどうしても仕事のやりがいや楽しさを見つけることができませんでした。そうしているうちに「やっぱりもっと人とコミュニケーションがしたい!」と強く思うようになり、もう一度ホステスをやろう!どうせやるなら日本一キラキラした街「銀座」で始めようと決心したのです。