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Meister Interview 木村 清(Kiyoshi Kimura)

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株式会社 喜代村 代表取締役社長/木村 清

株式会社 喜代村 代表取締役社長
木村 清

  • 木村 清プロフィール
  • ダイジェスト版(読了時間5分)
  • 記事全文(読了時間15分)

株式会社 喜代村 代表取締役社長 木村 清


人は「人の喜び」によって生かされている。

全国に“すしざんまい”を展開する、「すしざんまいの社長」。築地市場の初競りで、史上最高値で本マグロを落札した「マグロ大王」。両手を大きく広げたお馴染みの「すしざんまいポーズ」、そして見る人までを笑顔にしてしまう満面の笑顔。どこに居ても、ひときわ存在感を放つ木村清さんは、お寿司好きな方で無くても知っている人は多いことだろう。そんな木村清さんは現在御年64歳。マグロ大王としてのインパクトが強い木村さんだが、すしざんまいの第一号店を築地にオープンしたのは、わずか15前の2001年、木村さん49歳の時である。では、それまでの木村さんの人生はどのようなものだったのだろうか!?

<すしざんまい展開前の木村清さんの略歴>

・1952年4月、千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬(現・野田市)で農家を営んでいた家族の長男として生まれる
・4歳の時に交通事故で父親を亡くす
・女手一つで3人の子供を育てながら、借金を返す母親を支えるため、小学校に上がる前からアルバイト生活
・中学時代は5教科で学年トップになるほど成績優秀だったが、実家の経済状況から高校進学を諦める
・父の葬儀の日に見た戦闘機のパイロットを目指し、卒業後自衛隊に入隊
・交通事故で目の調整力を失いパイロットの道を断念。5年9か月で退官
・入院中に知り合った看護婦さんと、その後結婚、生涯の伴侶となる
・司法試験に挑戦。学費を稼ぐため、百科事典の訪問販売などアルバイト生活を送る
・営業成績の新記録を樹立するが、給料に反映されず失望し退職
・大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)入社/水産業界に関わることになる。
・独立、1979年喜代村の前身となる「木村商店」を設立、90以上の事業を展開する
・バブルの崩壊/メインバンクからの裏切りにあいすべての事業を清算
・手元に残った300万円で再出発、わずか10坪の「喜よ寿司」を築地にオープンし大人気店となる
・2001年4月すしざんまい第一号店を東京築地場外市場にオープン、わずか40数席で年商10億円を達成

この様に木村さんの半生は、「すしざんまい」の歴史だけではとても語りつくすことが出来ない凄まじい内容だった。今回のインタビューで、お話いただいたさまざまなエピソードには、木村さんの“人としての魅力”、そして「すしざんまい」を大成功に導いた経営手腕と、すべての逆境をチャンスに変え、それを乗り越えてしまう、圧倒的な「行動力」・「負けじ魂」に満ち溢れていた。自ら創った「ざんまい流」を以て、世界中でさまざまな課題を解決。そして、日本が誇る食文化「寿司」を広げ続けている匠の言葉を、ぜひご一読いただきたい。

木村清さん インタビュー


Q:少年時代の思い出について。

少年時代の思い出で強く記憶に残っているのは、小学校に上がる前から始めていたアルバイトです。私の実家は江戸時代から続く旧家で、私も何不自由なく育てられていた“らしい”のですが、物心がつくかつかないかという時(4歳になる直前)に、交通事故で父が亡くなり、母は女手一つで3人の子どもを育てながら、借金を返済する生活を余儀なくされました。母はそんな状況にありながらも、「先祖代々受け継いだ土地は一反歩たりとて減らすわけにはいかない」との考えのもと、自分達でしっかり稼いで借金を返す!と覚悟を決め、また「五体満足でいられるのだから、そのことに感謝できる人間にならないといけない」と、いつも私たちに言って聞かせました。そんな母を助けるため、小学校に上がる前から、1日2反(600坪)の畑を耕し、600円の小遣いをもらい、うさぎやニワトリを育てては売り、卵も売りました。秋にはイナゴ捕りをして、1キロ300円で買い取ってもらい、ビール瓶や一升瓶を回収、きれいに洗って酒屋に買い取ってもらうなどして、一生懸命家計を助けました。小学校2年からは新聞配達も始め、これは中学を卒業するまで続けました。そして小学校三年生からは、同級生の父親が支配人をやっていたゴルフ場でキャディのアルバイトも始めました。力道山もやってくるような名門クラブで、これが大きな“収入源”となりました。小学生になぜそんなことが出来るのか?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、戦後の貧しい時代には、働いて家計を助ける子供は珍しくはなかったのです。「働く」ということはどういうことなのか?私はこのような少年時代のアルバイト経験を通して、一つ一つ学んで行きました。