丸藤葡萄酒工業株式会社 代表取締役
大村 春夫(前編)/創業100年で挑んだ欧州系ブドウの栽培

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創業100年で挑んだ欧州系ブドウの栽培
勝沼の老舗ワイナリーが歩んだ国産ワインの歴史

日本国内で造られるワインが“本場”の味に近づいてからの歴史は浅い。辛口ワインがなかなか食文化に浸透せず、 長年の主流は甘味果実酒のような甘口ワインだった。しかしワインの製造技術が着実に向上するとともに、消費者の好みも大きく変化したことで、日本のワイン文化は目覚ましい成長を遂げてきた。

「ルバイヤート」ブランドで知られる山梨県勝沼町のワインメーカー「丸藤葡萄酒工業」の大村春夫社長は、早くから欧州系品種のブドウ栽培に挑み、国産ワインの“本格化”に取り組んだ醸造家の一人だ。日本の風土で欧州品種を育てるために失敗や試行錯誤を繰り返しながら、栽培・醸造技術を向上させ、国産ワインの品質を高めてきた。こうして日本ワインを発展させるとともに、日本固有の品種「甲州」を世界に通用するワイン用ブドウに育て上げることにも情熱を燃やしている。

大村社長へのインタビュー前編は、創業130年を迎える老舗ワイナリーの歩みや、日本には適していないとされた栽培方法「垣根栽培」への挑戦など、現在のワイン造りにつながる歴史を語っていただいた。

大村 春夫さん インタビュー


――老舗ワイナリーである丸藤葡萄酒工業の歴史を教えていただけますか?

私たちのワイナリーがある勝沼町には「メルシャン」「マンズ」「サッポロ」という大手のワインメーカーがあり、双葉町の「サントリー」、山梨市「サントネージュ」と合わせ、近隣の5社で日本のワインの90%を造ってきました。勝沼は私たちのような中堅のワイナリーが30社ほどあり、メルシャンの次に生まれたのが「丸藤葡萄酒工業」ですので、日本でも古い部類のワイナリーということになります。

丸藤葡萄酒工業は1890年、私の4代前にあたる大村治作が創業しましたが、その父の代からメルシャンの前身である「大日本山梨葡萄酒会社」に出資をするなど古くからワインに関わってきました。農地解放で畑が狭くなり、いまは2.5haほどになっていますが、それでも勝沼では広い方です。私が小さい頃はサクランボや桃、リンゴもありましたが、次第にブドウに集約されてきました。

――当時はどのようなワインを造っていたのでしょうか?

戦争でワイン造りもままならない時代がありました。父の代からは一生懸命にワイン造りができる環境になりましたが、その頃はまだまだ“本格的”なワインとは言えなかったように思います。“いいワインを造ろう”という発想ではなく、“食べる糧を得るため”のブドウ栽培であり、ワイン造りでした。ブドウを市場に出荷すると、競りにかけられて自分で値段を決めることができず、高く売れるかどうかがわかりません。自分たちで加工をすれば、価格を決めることができますし、ワイン造りをすでに始めていた大日本山梨葡萄酒(メルシャン)の影響もあって我々も始めたのです。

現在は次男の私が社長を務めていますが、兄がブドウ作りをしていて、弟は東京・神楽坂でワインバーを経営しています。父は若い頃から病で通院していたため、毛利元就の「三本の矢」ように息子たちが力を合わせることを望んでいました。結果的には見事に、兄がブドウを作り、私がワインにして、弟がワインを売るという形になっています。

――大村さんが入社された頃、日本のワイン業界はどのような状況でしたか?

最近ではもうブームという言葉をあまり使わなくなりましたが、国内では「ワインブーム」が第1次から7次まであったと言われています。その最初が1972年頃、大手メーカーさんがこぞってテレビCMを打ち出し、ワインを日本に根付かせようと頑張っていました。私が東京農業大学を卒業して入社したのは1974年ですが、それでもワインが“売れている”とまでは言えず、国民1人当たりの消費量がわずか0.2リットルでした。牛乳瓶1本ほどの量ですから、醸造試験所に通う毎朝新宿駅で乗り換える時、大勢の人とすれ違う度に「この人たちがハーフボトルを1本飲んでくれたらなあ……」と思ったものです。

1984年になるとメルシャンが、「甲州東雲シュール・リー」という白ワインを発売しました。これがシュール・リーという名前のついた、日本で初めてのワインです。シュール・リーというワインは、沈殿させた澱(おり)を取り除かずに、醗酵したワインと一緒に貯蔵することで、酵母からアミノ酸などの旨み成分を引き出し、複雑な味わいになります。このワインを飲んだ時、「甲州でこんなに美味しいワインができるのか」と本当に感動しました。これを丸藤葡萄酒工業でも造ろうと動き始め、シュール・リーを発売できたのは88年のことでした。

――国内でまだ新しいシュール・リーを造ることは難しくありませんでしたか?

入社後にフランスに留学した際、一晩果汁を放置してきれいな上澄みだけを使う「デブルバージュ」を学んできたことが活きました。ワイン造りでは“ブドウから果汁を搾る”工程があり、そこで軽く搾ったフリーランジュースと、ギュッと搾ったプレスランジュースが取れます。収穫したブドウから80%くらいの果汁が取れて、70%のフリーランがテーブルワイン、10%のプレスランが料理用のワインになります。このフリーランジュースをもとに、デブルバージュで果汁のきれいな部分を発酵させることで、特段に香りの高いワインができるのです。

澱の多い部分は栄養素が豊富にあり発酵が速く進んでしまうので、栄養のない状態を創り出すことで酵母に働いてもらいます。それは日本酒の仕込みで米を磨くのと同じです。米を削ると栄養の少ない心白だけになり、酵母が良い香りを出してくれる。私たちは中堅どころのワイナリーのなかでは早くからデブルバージュを取り入れていたので、スムーズにシュール・リーを造ることができました。

シュール・リーを造れたのは、メルシャンのおかげでもあります。メルシャンには我々が師と仰いだ麻井宇介さんという方がいて、「メルシャンだけではなく、勝沼のみんなが向上しなければ産地として認められない」と、惜しみなく技術を公開していました。私たちもその期待に応えようと、シュール・リーを造るために試行錯誤をしたことが、垣根栽培への挑戦にも繋がっていったのです。

――垣根栽培を取り入れる決断をしたきっかけは?

甘口果実酒を好む日本人の嗜好は根強く、辛口はあまり受け入れられない時代でした。そのため甲州ワインもやや甘口のものが主流を占めていました。ですが私は甘口が本当に料理に合うのか?という疑問を抱いていました。丸藤葡萄酒工業のワインを使ってもらっていたレストランのシェフから、「今回送ってきたワインは俺の料理に合わねぇ!」と言われたことがあります。シェフはそれでも他社のワインに切り替えず、私に伝えてきたのです。それならば「シェフの鼻を明かすようなワインを造ってやる!」と考えるようになり、売れても売れなくても辛口の白ワインに力を入れようと決心しました。

その頃、ワインの関税を引き下げる働きかけがあり、近年のTPPと同じように国内の製品が脅かされる事態となりました。ワインのことを学ぼうとする知識人、努力家が多い日本は、フランスワインの輸出先として最適だったのです。関税を高くすることで国産ワインは守られていましたが、海外のワインが一気に入ってくるようになれば、日本のワイナリーは立ち行かなくなるかもしれないという危機感が芽生えました。

丸藤葡萄酒工業があと2年で100周年を迎えるというタイミングで、「100年で辞めるのもいいか」という思いもありましたが、辞めることはいつでもできるので悔いを残さないようにしようと、「マンズワイン」が取り組んでいた垣根栽培に挑戦しました。日本は雨が多く、湿度も高いので垣根栽培は無理だと言われていましたが、ブドウにビニールをかけて雨から守る「マンズ・レインカット」という栽培方法で、当時は珍しかった垣根栽培を取り入れていました。周囲は「わざわざビニールをかけてまで収穫するの?」と懐疑的でしたが、我々は「自分でもやってみないと解らない」と思い、いち早く手を挙げて挑戦しました。

海外では垣根栽培が主流ですが、日本では棚栽培が大半を占めていました。垣根栽培は支柱とワイヤーで枝を垂直に伸ばしていき、人の腰や胸のあたりにブドウが実ります。人間の頭上まで高く伸ばした枝を横に広げていく棚栽培では、ブドウが実る位置は高くなります。ブドウは雨によって媒介される病原菌で病気にかかることがあるため、秋雨の多い日本では、ブドウと地面が近い垣根栽培は向いていないと教わっていたのです。ところが、誰かがそれをしっかりと検証したわけではない。長らくチャレンジする人がいなかっただけだと解り、自分たちも採用してみることにしたのです。

――早くから垣根栽培に挑戦したなかで苦労されたことは?

無理だと聞いていたけれどブドウは問題なく作れるし、むしろ3年目まではいいワインができました。樹を植えて2年目でブドウが実り、3年目はそれほど根が張っていないなかで、数は少ないけれど凝縮されたブドウが穫れる。内心“簡単じゃないか”と思ってしまいましたが、その翌年から、根が張って量が増えるとブドウの質がどんどん落ちていったのです。

フランスの感覚だと、ブドウの樹は10年経ってやっと1人前です。地中深くに根が張って、ようやくいいミネラル分を吸収できる。ところが肥沃で雨の多い日本では根が横に伸び、深く張る必要がありません。若木の場合は収穫量と根の張り方のバランスがうまく取れず、10年目ぐらいまで、凝縮したぶどうが収穫できず大分戸惑いました。私はボルドー品種を垣根栽培で植えればフランスと同じようなワインができると、勘違いしてしまっていたんです。チャレンジすることで、気候風土や日照量が違えば雨も多い日本に合う垣根栽培での育て方があるとわかりました。時間を費やしながら、少しずつうまく作れるようにはなってきましたが、まだまだこれからです。

<記者:平澤 尚威>

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