松崎商店 代表取締役社長 
松崎 宗平(前編)/「煎餅文化を取り戻す」 八代目が描くヴィジョン

0Like&Share

Facebook

LINEで送る

「煎餅文化を取り戻す」
老舗・松崎煎餅の八代目が描くヴィジョン

小麦粉に砂糖と卵を加えて焼いた、茶色くて甘い瓦煎餅はどこか懐かしさを感じさせる。四季折々の風流な絵柄が描かれた瓦煎餅「三味胴」(しゃみどう)で知られる煎餅屋が1804年創業の老舗「銀座 松崎煎餅」だ。2018年5月に代表取締役社長に就任した八代目、松崎宗平さんはITベンチャー企業に勤め、その傍らプロミュージシャンとしても活動してきた経歴の持ち主だ。

松崎煎餅入社後は、2016年にオープンした本店のコンセプトからデザインまでを担当し、レコードのように三味胴が並び、その製造風景がプロジェクションマッピングで映し出される瓦煎餅専門フロアを設置。さらに「地域密着・原点回帰」をテーマにした、カフェ併設のコンセプトストアを東京・世田谷区の松陰神社前、神奈川・川崎市の元住吉にオープンするなど、煎餅をこれまでにない形で人々に届けるサービスを考案し続けている。

IT化されていなかった会社に驚いたという入社当時から今に至るまでの取り組みや、「全ての場所に煎餅屋を」という言葉をヴィジョンとして掲げ、煎餅文化を盛り上げようとする意気込みを聞いた。

松崎宗平さん インタビュー


Q:松崎煎餅に至るまで、ウェブデザインや音楽活動など多彩なご経歴ですね

もともと絵を描くのが好きで、20歳くらいの時にパソコンで描きたくなってイラストレーターとFLASHを覚えたんです。それからスポーツコンテンツを扱うウェブ会社でアルバイトとしてグラフィックを描く仕事をして、その次にちょうどFLASHを扱える人材を探していた会社にアルバイトとして入って、そのまま正社員になりました。ウェブのコーディングをゼロから色々と学び始めて、自分で営業もやって、そのあとにチーフアートディレクターを務めてから松崎煎餅に移りました。

音楽活動の方は、2002年結成のバンドで細々とですが活動しています。いまライブはやめて曲作りに集中する期間にしていて。作り方がずっと同じだと自分たちが満足できなくなってしまうので、やり方を全部変えて1曲にすごく時間をかけて作っています。

Q:そういった色々な仕事の経験は松崎商店で生きていますか?

すごく生きていると思ってるんですが、正直なところデザイナーだったことよりも、就職した会社がITベンチャーだったことですね。ものごとの考え方はウェブ会社でも煎餅屋でも一緒だったので、そのまま生かせていると思います。

入社以来、コンセプトストアを2店舗オープンしたり、プロダクトデザインやウェブデザインに関わってきました。店作りのバランスに関しては、以前の経験より、この業界に入ってからインプットしてきたものの影響が大きいと思っています。ただ音楽業界にいると音楽だけじゃなく「やりたいことをやっている人」と出会う回数が多いので、その人たちが出している店とかがかっこいいなと思っていたから、あの店ができたんだと思います。

Q:松崎さんが入った当時の松崎煎餅の状況は?

「煎餅屋ってこうなんだ」と驚いたのが、全てがIT化されていないことでした。メールアドレスは社長と営業と工場で1個ずつ。事務所に入った時も自分のパソコンがなくて、パソコンがない仕事をしてこなかったので、何をしていいかわかりませんでした。あとは年齢層が高いのが、一番不安に感じたことかな。当時だと社員は100人くらいましたが、経営陣や管理職は50代以上しかいなくて「10年経ったらみんな定年」みたいな状況でした。

最初に手をつけたのはIT化と若返りですね。IT化はそんなにコストがかかるものではなくて、自分のパソコンを買って、サーバー契約して、社員みんなのメールアドレスを作ってあげて、ウェブサイトのデザインや通販サイトの入り口を作りました。

求人に関しては、僕と意思の疎通ができて次のフェーズに向かえる人員を集めるため、新卒じゃなく中途採用で僕が連れてきました。その後に新卒の採用もして、その流れで若い人たちを中途で採れたので、年齢層は30代~40代が中心になるくらいに若返っています。

Q:店づくりや会社経営で意識していることは?

2016年に松陰神社、次の年に元住吉にコンセプトストアを作りましたが、この時は自分のインプットをそのままアウトプットしました。それは達成できたし、反響もいただいたと思っていますが、このやり方では僕の時間が足りなくなって上手く全体を回せないことに気が付いて。自分にしかわからないことをやろうとすると、立ち上げに際し一緒に関わるスタッフはある程度問題ないものの、他のスタッフが付いてこられなくなります。だからここ1年くらい意識しているのは、僕のインプットを僕の直下のスタッフにアウトプットして、その人が僕のイメージに近いクオリティを出せるようにすることで、そうしていかないとこれ以上規模を広げられません。だからもう一店舗作るとしても僕は手を出さないつもりでいます。

いままでは自分が「10」イメージしたら、限りなく「10」に近くないと満足できなかったところで、「8」を目指すようになってきました。指示を出す時に、指針がいっぱいあるとわかりづらいだけだし、全てこっちで制限してしまうと指示を受けた人が楽しくない。クリエイティビティを引き出さないといけないので、大きな「枠」で見て作りたいものに合っていたら「おー!いいじゃん」って言えるようにならないといけないな、ということをいまさら勉強しています。

この「枠」は、なるべく一言で済むものにしたいなと思っています。ITベンチャー時代にヴィジョンという言葉が使われていて、働いていた時は実感していませんでした。でも結局ブレないものがあると、なにか仕事で選択するときに回帰できるので、ヴィジョンはすごく必要だなっていうのが20年越しの気付きです。逆にそういった「ここだけは外せないんだ」っていう言葉を共有できるスタッフが増えていけば、自分が直接アウトプットしなくても近いものができるのかなと思うようになりました。ヴィジョンはくだらないものでいいと思っていて、社内では「日本全国に煎餅屋を作ろう」と言っています。これをもう少し広げて「全ての場所に煎餅を」という言葉にしているので、日本が終われば世界に行けるし、世界が終われば宇宙に行けますね。笑

Q:煎餅屋を増やすというメッセージの意図は?

なぜ煎餅屋を増やすのかと言うと、煎餅業界は右肩上がりではなくてずっと横ばいなんですよ。しかも維持できているのは「亀田製菓」さんとか大手企業がコンビニなどを中心に企業努力で売上を維持・向上をしているからで、ギフトが売り上げの7~8割を占めている我々中小からしたら、明るい状況ではありません。

例えばいまは「ピエール・マルコリーニ」みたいなすごく高いチョコレートがありますが、あれが20年前、10年前に出ても売れなかったと思っていて。チョコレートというお菓子が戦後に出てきて、日本のメーカーさんから手頃に買えるものが作られて、それがあるから、もうちょっと高価なおいしいチョコが出てきて、この食文化が日本に定着したから高いものが売れたわけです。

これを煎餅に当てはめると、日本にはもともと煎餅っていう食文化があったから高い煎餅が売れてきましたけど、いまは煎餅を食べるっていう食文化がないんだと思うんです。そのなかで煎餅文化を取り戻すには、コンビニだけではなくて色々な場所に古典的な煎餅屋があって、「すごい好きってわけじゃないけど煎餅買っちゃうんだよね」という人が増える必要があります。「煎餅好きの人」じゃなくて「煎餅を普通に食べる人」を増やすのが目的になるだろうし、それを声に出せるのはウチみたいな会社なのかなと思ってて。「全ての場所に煎餅を」という言葉はそういうところからきていますが、それを自社だけでやるのは不可能なので、どんな計画で達成するのか長い目で見て模索しているところです。

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

フォローしてSNSで最新情報をチェック >>

Facebook

LINEで送る