独楽工房 隈本木工所 「隈本コマ」六代目
隈本 知伸(前編)

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「木は柔らかいほど温かみが感じられる」
九州の玩具こまを未来へ引き継ぐ福岡唯一の木工所

子供の遊びとして古くから伝わってきた「独楽」(こま)。日本に限らず世界各地で見られるおもちゃで、形や遊び方はさまざまだ。九州にも「鉄芯」「喧嘩独楽」という、この地域ならではの形と遊び方、文化がある。しかし、子供たちの遊びが時代とともに変化していくなかで、独楽を生産する工房は徐々に姿を消していった。
回転力の高い和独楽「博多こま」を生んだ福岡県で、伝統の玩具こまを作り続けている工房はただ一つ、八女市で創業120年になる「隈本コマ」だ。六代目の隈本知伸さんは若くして家業を継いでからの30年間、苦境に屈することなく新しい独楽を考案し、さらに時代に取り残されないよう、独楽だけにこだわらず温かみのある木のおもちゃを生み出してきた。それらの取り組みの根幹にあるのは、家業を存続させることではなく「九州の独楽を作り続けないと隈本コマの存在価値はない」という、独楽文化そのものを継承することへの使命感だ。
全2回のインタビュー前編は、隈本さんが受け継いできた「隈本コマ」の歴史、木のおもちゃがもつ「温かさ」などについて語っていただいた。ぜひご一読ください。

隈本 知伸さん インタビュー


Q:まず、九州の独楽にはどのような特徴がありますか?

「鉄芯」が入っていることが、九州の独楽の特徴です。また、九州以外では芯が上下に貫通していますが、九州の独楽は裏側だけに鉄芯が出ている特殊な形をしています。下関くらいまでは九州の影響があるかもしれませんが、山口市まで行ったら「紐の巻き方もわからない」と言われますね。

普通の独楽は、上から巻き始めて下も巻いていきますが、九州の独楽は下だけ巻きます。この構造は、相手の独楽にぶつけて割る「喧嘩独楽」という遊び方にかなり重点を置いた作りなんです。相手の独楽を割って、鉄芯をもらうのが子供に勲章になるという遊びでした。

Q:家業の独楽作りは隈本さんが子供の頃から身近な存在でしたか?
小学生の頃から、祖父や父が作業している様子は見ていて、中学に入ると手伝いをしていました。特に跡を継ぐためというわけでもなく、忙しい時に手伝って1時間100円くらいの小遣いをもらう程度です。それでも高校生くらいになると父親の手伝いで配達などにも行きましたし、見ることで仕事の内容はある程度理解できていました。父はあまり喋る人ではなかったので、「こうしろ」とか教えるようなことは言いませんでしたが、そこで見てきたものが今に繋がっていますね。

大学生になったらずっと別のアルバイトをしていましたし、卒業後に家の仕事を引き継ぐということは考えていませんでした。全然畑の違う仕事に就きたくて、行政書士事務所に勤めました。でも期間としては短くて、仕事をしてみたら「作ることが好き」「八女が好き」という気持ちが大きくなっていったんです。結局、八女でなにかを始めたくなり、自然な形で家の仕事に戻ってきました。

Q:入社した頃の仕事内容は?

やはり父は跡を継げとは言いませんでしたが、環境上、自分が継ぐんだなという意識で働いていました。最初は一番の若手として、営業や配達などの担当でした。私が入るまでは営業しなくても仕事がある時代で、作れば作るだけ売れて、職人の仕事を増やすために独楽以外の商品も作っていました。八女の近くには家具の産地として有名な大川市があって、先代の頃から家具の部品を引き受け始め、それが売り上げ全体の40%ほどを占める主力商品でした。

技術的な面でも削り方を教えてもらうことはありませんでしたが、これはやり方を見て自分で削ることの繰り返しで習得していくしかないからです。というのも、同じものを作るにしても、刃物の角度などは長年やっていくと個人差が出てきますし、削る刃物の形状もそれぞれ違います。そのあたりは体験して覚えていくものなんです。

Q:職人はどのような技術で独楽やおもちゃを作っていますか?

削り方は「手削り」という手法で、材料を回転させながら刃物を当てて自分の感覚で整えていきます。技術も時間もいるし、機械みたいに全部一緒の形状にはなりません。ただ、一個からでも試作して、思った物を作りだせるのがものすごい強みです。新しい物や、機械ではどうしても作れないものを作れるからこそ、まだまだ生きていける技術だと思います。

機械で作る木のおもちゃもありますが、一番肝心なのは研磨なんです。かっこつけた言い方になるかもしれませんが、機械で削って形状を整えても、最後の研磨によって魂が入る。削るよりも研磨の方が時間かかるし大変なんですよ。機械で削ってたおもちゃでも仕上げは自分たちでやるからこそ、温かみが出るのかもしれません。

Q:時代とともに子供の遊び方が変化してきましたが、独楽業界に大きい影響を与えたものは?

やっぱりテレビゲーム、「ファミコン」が発売されたことです。独楽に限らず昔ながらのおもちゃを作っていた人々にとっては大打撃だったと思います。ファミコンが出て徐々に落ち込むんじゃなくて、次の年には独楽の売上が10分の1になったんです。隈本コマはOEMで独楽以外の商品も作っていたのでよかったですが、独楽だけを作っていたら大変だったと思います。その後、独楽の売上も5年ほどかけて若干回復していきましたが、落ち込む前と比べたら4分の1くらいに減ってしまいました。

苦しい状態が続いたため、このまま他社製品の部品を作っていていいのかと考えていましたが、方向転換が決定的になったのは、バブル崩壊の時です。全体の売上が落ちて、自社商品の比率を高めて売る体制がないと、このままでは続けられないと思いました。その時、私はまだ30歳になる前くらいでしたが「今のままでは先行きが見えないから、私に任せてくれ」と父に伝えて、経営を引き継いだんです。父はそれも受け入れて、譲ってくれました。父にも、このままではダメだという不安があったのだと思います。

Q:そのタイミングで方向転換したことが、現在まで続けられた秘訣でしょうか?

自社商品を売る体制を作るため、すぐに新しい商品を作り、休みの日には妻と一緒に近場へ売りに行きました。九州にも独楽屋さんは何十軒とありましたが、他の独楽屋さんはあまりそういうことをしていなかったかもしれません。

もう一つ今になってみると、我々が生き残れた要因としては、何もわからないなりにホームページを立ち上げたことが大きかったと思います。八女の伝統工芸を扱う他業種同士の勉強会に、ホームページ作成の講師がやって来た時に、「これを取り入れないとダメだ」と感じて始めたんです。そこで、ホームページを作るためにパソコンを導入したわけですが、それによって業務が改善されるという好影響もありましたね。ただ、私があまりに苦手だったので、ホームページ作成のあたりは妻に任せてしまったのですが(笑)。その時に作って17年続けてきたサイトも、検索エンジンに引っかからなくなってきたのでリニューアルしました。古いままでは戦っていけないので、思い切ってデザインも内容も作り直しています。

Q:隈本コマのものづくりの根底にある意識は?

私が社員に伝えているのは、「九州の独楽を作り続けないと隈本コマの存在価値はないんだ」ということです。引き継いできた独楽は、「独楽工房」という屋号が付く限りは数が減ったとしても絶対に作らないといけません。九州の独楽を作ることが前提にあって、それを作り続けるために、他の商品も作って安定した売上を得るという姿勢です。今では新しいおもちゃを作ることのほうが楽しいと感じることも多くなりましたけど、伝統の独楽も大事にしています。

その次にくるのは「安心」「安全」です。そのために大事なのは、どこで育ったかわかる木材を使うことだと考えていて、私は九州の材料、特に八女の木でおもちゃを作ることにこだわっています。政府の方針で、建築材の柱などすることを想定してスギの木が植えられたのですが、八女のスギは適齢期を過ぎているんですよ。もうその用途では使えません。なので私たちが取り組んでいるのは、適齢期を過ぎた八女のスギやヒノキで作れる商品です。「八女の材料で作れるもの」という発想から新商品を作ることもあります。まだまだ数は少ないですが、ここ数年でかなり増やしていますよ。

Q:「木」という素材の良さとは?

学習中の子供の姿勢を正す「ぐっポス」という商品には、八女の材料を使っています。開発にあたってはスギ、ヒノキ、クスという八女に豊富に植えられている材料で試作を行いました。その結果、採用したのがスギです。というのも開発にあたって100名に目隠ししてもらい、どの材料かわからない状態で3種類を握ってもらったところ、95%以上が「スギがいい」と答えたんです。それが私たちにとってもものすごくよかった。スギが一番豊富にあり、使わなければいけない材料ですからね。

木という材料は柔らかいほど、温かみが感じられるようです。これまでに色々な材料を削ってきましたけれど、それは間違いない。スギ、ヒノキは柔らかくて独楽に向かないので、八女の豊富なスギを使うのには、木のおもちゃが適しています。丁寧に研磨した木は、赤ちゃんが触っても気持ちいいと感じられる肌触りです。だから私たちが作る木のおもちゃは、赤ちゃんが最初に触れる道具でありたい。「お母さんとお父さんの肌の次に、赤ちゃんが触れるもの」、という考え方で作っています。

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

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