「絵付け舎 薩摩志史」 代表絵付け師 
室田 志保(前編)/華美繊細な絵柄で彩る「薩摩ボタン」

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幻と云われる技法を、現代に。
華美繊細な絵柄で彩る「薩摩ボタン」

直径わずか1.5センチ、最も大きいものでも5センチほどの小さな世界に、華美で繊細な絵柄を施す「薩摩ボタン」。江戸末期、パリ万博に出展され、世界から称賛を受けた鹿児島の伝統工芸品「白薩摩」に、薩摩焼の技法を駆使し、金をはじめとする豪華絢爛な配色をミリ単位で施すボタンの芸術品だ。

その繊細な技法ゆえに作り手が減り、一度は途絶えてしまったが、薩摩ボタンの美しさに魅せられた絵付け師・室田志保さんが、その伝統を現代に蘇らせた。白薩摩の窯元で10年間、絵付師としての経験を積んだ後、培った技術と経験を生かし、2005年に自らのブランド「薩摩志史」を立ち上げた。室田さんが作り出すのは、花鳥風月や当時の生活風景を描いた伝統的な絵柄だけでなく、現代の生活様式やデザイン性を織り交ぜた新時代の薩摩ボタンだ。

全2回のインタビュー前編は、室田さんが薩摩ボタンを復活させるまでの道のりや、繊細な技術と丁寧な作業の積み重ねで完成する、薩摩ボタンの製法について語っていただいた。

室田 志保さん インタビュー


Q:薩摩ボタンの起源について教えてください

言い伝えによれば、薩摩ボタンは江戸末期に始まり、薩摩藩が倒幕運動などに必要な外貨を稼ぐための資金源になっていたそうです。ただ、その頃の作品が発見されていないため、正確な記録としては残っていません。資料として残っているなかで最も古い薩摩ボタンは、1867年に開催されたパリ万博で、薩摩焼がとても高い評価を得た以降のもので、薩摩焼と一緒に海外に出ていきました。その作品は明治に入ってからのものです。

Q:薩摩ボタンと出会い独立するまでの経緯は?

私は薩摩焼の業界にいましたが、薩摩ボタンのことはずっと知る機会がありませんでした。たまたま地域の情報誌で見たことがきっかけです。初めて見た「薩摩ボタン」は手描きではなく、機械で復刻したものだったため、手描きの作品が見たいなと思っていたところ、復刻された社長さんから「状態の良い、当時の薩摩ボタンの作品を見れるよ」と教えてもらったのが、東京にある「ボタン博物館」でした。そこで初めて薩摩ボタンを見て、そのあまりの美しさにくるくると吸い込まれるように見入ってしまったことを覚えています。面はとても小さいのに、その当時の生活感とか、絵付け師さんの筆遣いが明らかに見て取れるところに引き込まれました。

その時、館長さんに「薩摩ボタンを描いてみようと思っています」と伝えたところ、なんと図録をいただきました。そこにはいくつもの美しい薩摩ボタンが載っていて、「これを参考に復活させてください!」と応援してくださいました。母も「独立して3年間は食べさせてあげる」と、私を支えてくれたおかげで、そこからさらに勉強を重ねて、生地を作ってくれる職人さんをなんとか探し出し、薩摩志史を立ち上げる目途が立ちました。

窯元で修業していた頃はお茶道具などに絵付けをしていて、お抹茶椀の外側に伝統的な花鳥風月柄を描いていましたが、ボタンになると描く面がとても小さくなるため、細かい線に慣れるまでに時間がかかりましたね。自分なりに自信を持てる作品が描けるようになったのは、独立から2年ほど経った頃で、初個展を開いたのもその頃です。「個展をしないか?」と声を掛けてくださるギャラリーさんや、預かりで置いてくださるお店などのご協力で、なんとか活動していけました。

Q:一から始めて絵付け師として一人前になるにはどのくらい?

能力にもよりますが、10年ほどは必要ではないでしょうか。絵を描く基礎ができている人であれば、もう少し早くなると思います。それでも絵付けに使う小さな筆に慣れるのに3年くらいはかかるでしょう。私が弟子を取った時も、「一人前になるまで、10年は見て欲しい」と伝えたうえで誘いました。

「これだ」と思える作品が作れるようになっても、「次はもっとこうしたい」、「こんなものを描きたい」「こんな技法に挑戦したい」など、描いていくなかで変化していきますし、完成というものがありません。そのため、お客さまがけっこう前の作品をつけていらっしゃると、ありがたいやら恥ずかしいやら、いたたまれない気持ちになることもあります(笑)。

Q:芸術の世界に進もうと考えたのはいつ頃ですか?

絵はそんなに上手な方ではなかったのですが、手先の器用さにはそれなりに自信を持っていて、モノを作ることや、細かい作業が好きでした。職人のような仕事に憧れていましたし、船乗りでエンジニアだった父からは、「これからの時代は、女も手に職がないとダメだ」と育てられたため、職人の道に進もうと決めました。高校卒業後は、芸術系短大の造形芸術コースで染織の「染め」を専攻し、学力は全然だったんですけど実技は真面目にやっていたので、そこを教授に気に入ってもらえて今があるという感じですね(笑)。

その教授に就職先の相談をしていた時、「丁稚みたいな仕事があれば」と話していました。そこで連れて行っていただいた先がお茶道具の窯元さんで、ちょうど忙しい時期だったこともあり、「明日からでもアルバイトで来て欲しい」というお話をいただいきました。段ボールを組み立てたり箱を準備したりという荷造りの仕事でしたが、私は工作をしている感覚だったため、「これでお金がもらえるんだ」とすごく嬉しかったです。

そして次の4月から、メインの絵柄周りの文様を描く担当として正式に働けるようになりました。メインを描くデッサン力はなかったのですが、同じパターンを繰り返し描くのが得意だったので、ずっと座って細かい作業を続けられる能力を評価され、文様専用の絵付師として育てていただきました。ただ、独立となるとメインが描けないといけません。そのデッサン力を身に付けるために、仕事以外の時間でデッサン教室に通い、少しずつ、自分の能力の進化を実感できるようになって行きました。

Q:この場所(垂水市の山中)にアトリエを開いたきっかけは?

私の生まれはこの山を下りた平地なのですが、このあたりの集落は母の出身地なんです。独立をする際に、現在のアトリエから2軒下の建物を借りてアトリエを開き、その後に主人と出会って、主人が暮らしていたこの家にアトリエを移しました。母は山から下りてお嫁に行って、私は逆に山にお嫁に来た感じです。主人は黒毛和牛の牧場をしていて、この仕事ができるのも主人が元気でがんばってくれているからこそと感謝しています。農作業の手伝いをすることもありますし、牛を育てている方たちから羊が贈られてきたり、面白いことがたくさんありますよ。

Q:きめ細かい絵柄を描いていく工程や、使っている道具は?

まず白薩摩のボタン生地に水性サインペンで下書きをし、金と油が混ざった「マット金」でこげ茶色の線を入れていきます。絵の具を入れたら一度窯に入れて焼き付けます。こげ茶色の線の油分は窯で焼かれると、金だけが定着して金色になるので、色むらを修正してもう一度焼きます。色が完全に落ち着いたら、細かい彩色をし、最後にもう一度窯で焼きあげ、磨いて金が剥げなければ完成です。この様に一層ずつ色を定着させて、その上にまた描いて、という流れで進めるのですが、窯に入れて焼く作業は、最低でも5回必要です。

この工程にだいたい2~3週間ほどかかりますので、製作は10~20個の作品を同時に進めていきます。作るペースはだいたい月で30~50個くらいです。おかげさまで現在は、たくさんのご依頼を頂けるようになり、受注から納品まで、1年ほどお待ちいただいている状況です。

ボタンの輪郭を描いていく絵の具は揮発性油で溶かした金です。筆はイタチの毛を使っていて、これは京都の職人さんに作ってもらっています。特性としては、小さいカーブにもついてきてくれるのでボタンに適しています。使い終わり、筆に金が溜まった状態だと痛むので油で落とさないといけません。金のほかにプラチナも使っていて、私が金とプラチナ担当でメインの絵を描き、弟子がさまざまな色の絵の具担当という形で分担しています。

Q:日常的にボタンとして使うのがもったいなく感じます。

薩摩ボタンは、日常的に使っていただく「工芸品」としての顔と、鑑賞やコレクションなどでお愉しみいただく「芸術品」としての顔があると思います。実際、お客さまの多くはコレクション的な感覚で購入されていますね。日本のお客さまは付け替えができるようにアクセサリーを加工して襟もとに付けたり、カフスボタンにしたりと、おしゃれやファッションの一環として使用されていますが、海外のボタンコレクターは箱に入れて愛でるために購入されるケースが多いです。

薩摩ボタンのような工芸品・芸術品は、持っていると贅沢な気持ちになれると思います。また、平和な時代でなければ、愉しめないものでもありますから、そんな作品が生まれて残っていく国は、いい国だという証拠です。平和を象徴してくれるような文化としても、この活動を続けていけるようがんばりたいなと思います。

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

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