株式会社東京タワー・代表取締役 
前田 伸(前編)/誕生から60年を経た東京タワーの新境地

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誕生から60年を経た東京タワーの新境地
“東京の街を体感する”トップデッキツアー

昭和33年(1958年)に誕生した東京タワーは、日本全国から集まった一流の職人たちがわずか1年半で造り上げ、333メートルという当時世界一の高さを誇った歴史的な構造物である。昭和、平成という時代を経ても変わらない機能美を感じさせる姿は、東京のシンボルとして、日本人の心に刻まれている。

しかし変わらないものだけではない。開業60周年を迎えた2018年には、250メートルからの景観を楽しめる特別展望台を、「トップデッキ」という名称に改めた。そして最も大きな変化が、アテンダントがきめ細かいサービスを提供する「トップデッキツアー」の導入だろう。東京の街と東京タワーを知ることのできる“体験型展望ツアー”として、新しい時代に向けてサービスの大きな転換を図っている。

東京タワーを管理・運営する日本電波塔株式会社もまた、2018年に「株式会社東京タワー」へと生まれ変わった。社長を務める前田伸氏は、創業者・前田久吉氏の三男であり、幼い頃から東京タワーを身近な存在として感じてきた人物だ。前田社長への全2回のインタビュー前編は、東京タワーの経営を託された社長就任当初のエピソードや、オープンから1年が経った「トップデッキツアー」の手応えや展望を聞いた。

前田 伸さん インタビュー


Q:幼少期に印象的だった東京タワーの思い出は?

強く記憶に残っているのは1960年代、私が幼稚園生だった頃のことです。いまでは東京タワーの展望台よりも高いビルがいくつかありますが、当時は「霞が関ビルディング」(高さ147メートル、地上36階建ての日本初の超高層ビル)が完成する前で、周囲のビルは高くても10階建てくらいという時代でした。まだ複数の路面電車が都内を走っていましたし、“まさに昭和”という光景が広がっていました。

東京タワーの特別展望台は、250メートルからの景色をお楽しみいただける展望台として開業から10年ほど経ってからオープンしたものです。それ以前はタワー頂上部のアンテナなどを保守点検するための場所で、作業員が立ち入るくらいでした。展望台というよりも、金網越しに風が通り抜ける、ビルの屋上のような空間です。エレベーターはいまのような居心地のいいものとは全く違う心もとないものでしたし、着いた途端に強風に晒されるような環境でした。

そんな怖い思いをしながら景色を見ていたので、街並みや周辺のビルが余計に小さく見えたものです。その反面、東京の街そのものを、そして東京を流れる風や空気を全身で受け止めた、という感覚がありました。下から見上げるだけでなく上から見下ろす経験をしたことで、東京タワーに対しても東京の街に対しても全く違う印象を抱くことができたと思います。

Q:創業者である父・前田久吉氏から学んだことは?

私は晩年の子供でしたので、厳しい面はあまり見ていませんが、父は新聞業からキャリアをスタートした現場叩き上げの人でした。「産経新聞」の創業者であり、東京タワーや「マザー牧場」を造るなどさまざまな事業を立ち上げるなか、周囲の人々に声をかけながら、現場の心をつかんで一緒に仕事をしていった人です。全て販売や作業の現場目線で物事を考え、事業がどれだけ大きくなっても、時代が変遷しても変わることのない、徹底的な現場主義でした。

アイデアも非常に大切にしていて、思い付きではありましたが、当時日本では珍しかったブルーベリーをテレビ番組で見かけると、「これは面白そうだ」とすぐにマザー牧場に植えたのです。するとそれが、あっという間にお客さまの好評を得ました。直感から生まれるものがあるから、トライアンドエラーでダメなものはやめてしまえばいいという考え方です。時代や周囲の状況を見ながら新しいものを取り込んでいく姿勢は、子供ながらに父から学びました。

Q:銀行員時代に担当していた業務やそこから学んだことは?

大学卒業後に入社したのは近畿大阪銀行という地方銀行でした。高度経済成長期の日本が“ジャパン・アズ・ナンバーワン”ともてはやされ、バブルが起こり海外にもどんどん進出していった時代に、私は海外の案件を担当していました。1987年には世界的に株価が大暴落した「ブラックマンデー」が起きるなど、大きな変動を迎えた時期です。その後、日本も欧米に続くんだという風潮から最終的にバブルが起こりました。私が金融の世界に身を置いていたのは3年間でしたが、まさに激動の時代だったと思います。

小さい銀行だったので、新人でしたが、なんでも自分でやらければいけない環境でした。そんな時代のマーケットで洗礼を受けながら、慎重であることの大事さなどを学びました。もう一つ実感したのは、世の中の相場はだいたい銀行の予想と反対の方向に動いていくものだということです。人の心理で、ついつい大勢の人々が流れる方についていきたくなるかもしれませんが、物事の本質を見極めないといけません。人が同じ方向に流れる時ほど、みんな平常心を忘れているものだと肝に銘じておくことが必要です。とはいえ、時には流れに乗らなければうまくいかないこともありますので、自分たちがどうするべきかを見極めることを大切にしています。

それから、最初から「儲けよう」と思っているとだいたいの場合ろくなことにならないものです。世の中の役に立ち、自分たちの果たすべきミッションを全うすることで結果として利益が生まれてきます。本来の使命や原理原則を常に心に抱きながら、事業を運営していかなければいけません。

Q:社長就任当時のプレッシャーや、それをはねのけられた要因は?

社長就任当時は大きな赤字があり、資本的な蓄積はあるもののキャッシュを生み出さなければいけないという苦しい時代でしたが、「挽回するしかない」という覚悟は決まっていました。遊休資産を売却しましたし、効率経営で損切りもしました。それでもジタバタせずに、収益を上げられるようプランニングしていったことで、一気に挽回できました。

その間、新しい取り組みはできませんでしたが、足場が固まらないと始められませんから、まずはやるべきことを遂行しました。構造物としての東京タワーも、日本電波塔という会社も生まれてから50年近く経っていましたし、それを潰しては申し訳ないですからね。それまで東京タワーに関わってきた方たちが大事に育ててきた、愛着の強さに支えられました。

Q:リーダーとして組織をまとめるために心がけたことは?

就任当時大事にしていたのは、やはり現場に赴くことです。例えば、今は対策が何重にも張り巡らされていますが、その頃は通りがかりの人が、エレベーターを使わずに東京タワーをよじ登ろうとするトラブルが時々起きていました。そういう事件があった時には現場に駆けつけて、警備員らと対応に当たりました。社員からすれば就任したばかりの社長でまだ話したことすらない、私も社員たちの名前がわからないような段階でしたが、そういう出来事に一緒に対応していくうちに、気持ちが通じ合って、お互いに会社をよくしていこうという気持ちが芽生えていったと思います。

若い社長がやってきて、社員からすれば期待もあったと思いますが、不安を感じる人もいたかもしれません。企業がうまくいっていないと、どうしても閉塞感が社内に出てきてしまうものです。そういう時は空気を換えることが重要で、それによって社内外のマインドも変わります。それを足掛かりに、新しくクライムアップを始めていくことが必要です。私も幹部の協力を受けながら会社の地力を使うことで、新しい世代にという想いを具体化できたと思っています。

Q:新しい時代に向けて、特別展望台が「トップデッキ」として生まれ変わりましたね。

「トップデッキツアー」を体験型展望ツアーとして導入するにあたって、内装やトップデッキへと昇るエレベーターをリニューアルし、インターネットでの事前予約を導入することで、待ち時間なくお楽しみいただけるようになりました。トップデッキからの景観はもちろん、アテンダントの接客や、ドリンクサービス、フォトサービスなどのおもてなしを充実させることで、ご家族連れやカップル、そして年齢を問わずお客さまの満足度も高まっています。特に昼間の情景から夜景に変わっていくサンセットタイムは、予約が集中する人気の時間帯です。

海外からもたくさんの御予約をいただいています。外国人観光客の多様化に合わせて、予約サイトや音声ガイドは13言語対応のサービスを展開し、アテンダントにも外国籍のスタッフを動員しています。こうした高付加価値のサービスによって、海外からの利用者が多いことも特色です。

Q:オープンから1年が経って、トップデッキツアーの手応えはいかがですか?

トップデッキツアーを導入することによって「高い展望台に上がって景色を楽しんでいただく」だけでなく、アテンダントが東京の街と東京タワーについてより深いご説明をすることで、「東京の街を体験していただく」という領域に踏み入れることができました。現在行っている150メートルのメインデッキ(旧・大展望台)の改装は、今年の秋口に完了予定です。2020年、またそれ以降に向けて、今後も更なるサービスと付加価値の提供を続けていかなければいけません。

非日常を体験するというのはテーマパークに近い考え方かもしれませんが、テーマパークは海外の景観や雰囲気、あるいはキャラクターをテーマにしているものが多いですよね。東京タワーは、東京の街、日本の街がテーマです。ある意味では“世界のなかの東京”を体感していただけるテーマパークと言えるのかもしれません。

<記者:平澤 尚威>

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

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