株式会社KOMA 代表取締役
松岡 茂樹(前編)/「一点物」のクオリティを「製品」に落とし込む家具

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「一点物のクオリティを製品に落とし込む」
“工芸”と“工業”を兼ね備えたオリジナル家具

物によっては一生ものの付き合いになる生活の必需品、それが家具である。安価でどこでも買える便利な「工業製品」、職人が手間暇をかけて世界に一つの品を作る「工芸品」。どちらにも魅力がある一方、機械によって大量生産される工業製品には高品質は望めず、一点物である工芸品は気軽に手を出せないような高額になることがほとんどだ。

そんな家具業界に新しい風を吹き込んでいる株式会社KOMAは、「一点物」と遜色ないクオリティの家具をロットで作ることによって、適正な価格の「製品」として生産している。親方の松岡茂樹さんは、「一点物だから高い」「使い心地が良くない」といった弱点のない家具を生み出すことに成功したカリスマ的な家具職人だ。

松岡さんへの全2回のインタビュー前編は、通常業務をこなしながら毎月いくつものオリジナル作品を作り続けた修行時代のエピソードや、「一点物のクオリティを製品に落とし込む」というコンセプトのもとに作られるKOMAの家具の魅力を聞いた。ぜひご一読ください。

松岡 茂樹さん インタビュー


Q:家具職人を目指したきっかけは?

物心ついた頃から好きでした。絵を描いたり、粘土でなにか作ったりすると褒められることが多かったので自分でも得意だと思っていて、小学生の時に描いた絵で賞をもらって、それが区の美術館に飾られたこともありました。でもものづくりを仕事にしたいとは全く思っていなかったと思います。

ものづくりを目指すきっかけは偶然でした。高校を卒業して家を出た後は何も先が見えないような生活をしていましたが、当時住んでいた部屋の大家さんに、自分の前に住んでいたのが美大生だと教えてもらって、その時に自分も絵が好きだったことを思い出したんです。すぐに美術大学を目指す友人が通っていた予備校に行き、そのまま教室に潜り込んで、道具を借りて絵を描き始めました。先生たちは自分が生徒じゃないことを知らないから、すごく丁寧に教えてくれるんです。絵心があると褒められたこともあって毎日通うようになったんですよ。さすがに2カ月くらいでその生活はやめましたが、絵を描くことがどういう仕事になるのかと先生に聞いたら、ファッションや車のデザイナー、芸術家もデッサンが原点だと教えてくれたので専門学校に入りました。

職業にできそうだという理由でインテリアデザインの専門学校に通い、卒業すれば2級建築士の資格をもらえるはずでした。ただ、いま思えば甘い考え方なのですが「最終的には自分の作りたいものを作れる仕事にしたい」という想いがあって、このまま建築を勉強していても将来が見えないなと思うようになりました。建築はクライアントありきですから、お客さまが建てたい家、変えたい内装の補助であって、自分の作品を発信するのは難しい。それを家で実現しようと思ったら、大金を用意してようやく自分の好きなものを建てられる。その筋道が見えてこなくて、家具の道に進もうと決めました。家具だったら工房があって、自分の技術を駆使すれば、作品を発信するってことができるからです。

Q:家具職人になった当初はどのような修行をしましたか?

修行は3年と最初から決めていて、面接の段階からそれは明言していました。社長や工場長からは「まずは10年やってから」と笑われて、入社後は便所掃除から始まりました。まだ、“昭和の職人さん”という感じの80歳くらいの元気な方がいて、その弟子が50歳後半くらい、さらに下の世代がいて、自分は一番下です。

厳しかったですが、昭和の職人さんに教わることができたのは自分たちが最後の世代だと思いますし、それはいい経験だったと思います。昭和の職人さんはやっぱり機械が発達する前の技術をもっているので、手加工の精度がすごい。ただ、「見て盗め」とよく言いますけど、隠しながら作業するので盗ませてもくれませんでした。それは、職人の仕事は早いのか遅いのか上手いのか下手なのかがわかりやすいので年齢が関係なく、自分のポジションを守るため若手を伸びさせないようにするからです。若手にも戦いがあって、雑用係から抜け出していい仕事をするためには、上の人たちを追い抜かないといけない。自分も「どっちがすごいか比べてください」と社長に直談判したこともありました。

Q:上の世代の職人が溢れているなかで、どのように実力を示していったのでしょうか?

家具を作れるようになっても、部分的に任されるだけで1から10まで作れることはなかなかありませんでした。そこで必ずやると決めたのが、毎朝早く工場に行き、毎晩遅くまで残って自分の作品を作るということです。毎月作品として椅子を1脚作る、小物を何個作るというノルマを自分に課しました。会社は居残りで練習することを応援してくれてはいなくて、必死に交渉して使わせてもらうという感じでした。

それを1年半くらい続けてだんだん作れるようになってくると、コンペで入選したり、練習で作った椅子を営業マンが百貨店に持ち込んで売ってくれたりするようにもなりました。ある日、いつものように夜まで作品を作っていたら、社長から「お前は本当に毎日やってるな」と声をかけられ、結果を出していることも評価してくれて「あと半年待て。お前に環境を用意する」と言われました。半年後、社長が朝礼で「今日から松岡一人の部署を作る」と発表したんです。デザインから製作まで自分1人で手掛けて、百貨店で売れ行きのよかった椅子を量産に回すための部署だと言われて、まわりも自分もびっくりしました。

入社から3年目で、50年続いていた会社で初めてのポジションを任せてもらうという大役でしたが、ノルマが本当に厳しかった。10万円ほどで売れる椅子を、3日間で2脚作るという、常識的じゃないペースの仕事です。電車ではスケッチブックにデザインを描き続け、家に帰ったら図面を引いていました。デザイン6案を社長に見せ「これとこれ」と決めてもらったらそれを作り、終わったらまた次のデザインを描くという繰り返し。ハードでしたが、ものを作るということに関しては本当に恵まれた環境でしたし、ものを作るだけ、椅子を作るだけという、すごく幸せな仕事でした。

Q:その時代の経験がいまに生かされているのでしょうか?

すごく修行になったので、その機会を与えてもらえたことがありがたい。しかもけっこう売れていたんですよ。優秀な営業マンがついてくれて、一カ月に300万円くらいの売上を一人で出していました。作ることに専念できる環境はうれしかったのですが、社長と展望を話していくなかで独立するきっかけがありました。これから百貨店で家具を買う時代ではなくなるから、これだけのものが作れるなら自分たちの看板で路面店を持った方がいいと提案したんです。

ものをつくる職人そのものの在り方が変わっていくので、ショップを持って表現をしなければ生き残れないと思っていました。昭和の職人観をもった方たちは、腕はいいけれどものを作るだけで表現としてのものづくりをしてはいなかった。これからの職人はオリジナリティを打ち出さないといけないというのが自分の考えでした。それでも、百貨店以上の売り場はないという社長の考えは変わらず、だったら自分でやろうと、辞めさせてもらいました。

ただ、独立してみたら全然仕事が取れませんでした。独立する前に百貨店でフェアをやらせてもらっていたのでバイヤーを知っていましたが、全く声がかからなくなりました。細々と続けながらも、家族もいたのでそろそろ厳しいと思ってた時に、ある信用金庫の支店長さんが「おもしろい奴がいると聞いたから」と言って会いに来てくれて、1時間ほど話をしたら協力を申し出てくれて、家具に関連する取引先を何十社と紹介してくれたんです。それから一気に仕事をもらえるようになりました。

Q:苦労の末に地位を築き上げてきた、KOMAの家具の特徴は?

“一点物のクオリティをもった製品づくり”というコンセプトは、ブランドを作った当初からほとんど変わっていません。家具の市場で量的な面で大多数を占めているのは、オートメーションで量産する「工業」です。それに対して「工芸」があって、色々な産地で作家さんが工芸品として家具を作っています。自分が修行した会社のように、工業のなかにも人の手が入っていることもありますが、ざっくり言うとこの2つで、どちらにもいいところと足りないところがあるのが現状です。

工芸はあくまでも作品なのでどれだけ手間をかけてもいいですが、“一点物だから高い”というのは作り手のエゴじゃないかと思っています。それなら10個作って、図面を引いたり型を取ったりという手間を10分割すれば、その分だけ安くできるわけですから。できないのが発信力や販売力、在庫を抱える体力がないという理由だとしたら、それは作る側のエゴなんです。また、量産の家具は「シンプル」を謳う物がありますが、物としての要素をしっかり備えたうえで無駄を削いでいったものがシンプルであって、ただ直線で組んだ椅子の座り心地が悪かったらそれは違う。「持っててうれしい」ということが家具の一つの仕事だと思っているので、そう感じられてなおかつ無駄がないものが本当のシンプルだと思っています。

それらの足りないところを補って、一個一個削りだす一点物のクオリティを、何十個も作って製品に落とし込むというのがKOMAの特徴だと思います。量産メーカーには職人の個の技術がそこまでないので一点物のクオリティで製品化できるところまではいかないし、工芸の職人は作れるけれども、在庫を抱えて商売できるかといったら話は別です。100本まとめて作って、作ったからには売らなきゃいけないですから、一点物ではなく製品を展開するには責任と覚悟が必要ですからね。おそらく国内でその作り方をしているのはKOMA以外にないと思います。

<記者:平澤 尚威>

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

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