株式会社ペッパーフードサービス 代表取締役社長
一瀬 邦夫(前編)/「いきなり!ステーキ」を生んだ肉への情熱

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成功の鍵は「自分が食べたいかどうか」
「いきなり!ステーキ」を生んだ肉への情熱

「美味しいステーキは高級なもの」「安いステーキは固くて美味しくない」。そんなイメージを覆し、人気外食チェーン店となったのが「いきなり!ステーキ」だ。美味しくて分厚いステーキを手頃な価格で、しかも短時間で気軽に食べられるというスタイルは瞬く間に日本に広まった。2013年12月、東京・銀座に1号店が誕生して以来、わずか5年半で47都道府県に次々と出店し急成長を遂げている。

「いきなり!ステーキ」を運営する「株式会社ペッパーフードサービス」がもう一つの主軸としている「ペッパーランチ」もまた、画期的なスタイルで肉料理を味わえる店として誕生した。創業者である一瀬邦夫社長は、日本の外食産業、とりわけ「肉」という分野において革命的な店を生み出してきた存在なのだ。

「“非日常性”のあるステーキを、安心価格で食べてもらいたかった」と語る一瀬社長へのインタビュー前編は、小さなキッチンを開業してからの歩みと、一貫して肉にこだわった店を展開してきた「肉への情熱」の源泉を辿った。

一瀬 邦夫さん インタビュー


――バブル崩壊やリーマンショック、東日本大震災などさまざまな苦境のなかで、会社設立以降、順調に店舗数を増やし、業績を伸ばしてきた“景気に左右されない強さ”の源泉は?

会社を成長させてこられたのは、自分が幸せでいられるのは従業員たちのおかげだと思っているからです。従業員に夢と希望を抱いてもらい、ここで働いていたら実りのある生活が送れると感じられる会社を作ろうと心がけてきました。そのうえでは、従業員に言いたいことを伝えられる関係を作ったことが大きかったと思います。

東京・赤坂の「山王ホテル」で修行を積んだ後、27歳で「キッチンくに」という洋食屋を始め、その9年後には4階建てのビルを建てられるほどの業績を上げました。その時点で商店主としては大成功を収めたと言えます。ですが、従業員が辞めていくのを止められないという問題を抱えていて、非常にナーバスになっていました。60席以上ある店で、出前も忙しく、従業員が減っては経営していけない規模になっているにも関わらず、どうして従業員が辞めてしまうのか。そう考えた時に、彼らが会社に対して夢と希望が持てず、「社長は自分の城をもって喜んでいるけれど、自分には先がない」と思わせてしまうような状況だったと気付きました。それならば多店舗化して、彼らを店長に育てようと考えたのです。

4店舗まで増やし、そうなるとさらに従業員数を充実させなければいけません。しかし、「従業員に辞められたら困る」という想いから、彼らを叱るということができなくなってしまったのです。本来なら社長がやるべき指導ができずに、妥協の連続で続けていたことで、倒産寸前まで追い込まれました。それでもまだ、私は従業員に物を言うことができなかった。

私が49歳の時、妻を48歳で亡くしていまして、その時の保険金を切り崩しながら、毎月数十万円、数百万円の赤字が出るという状態をしのいでいました。いつか底をつく時が来ることはわかっているけれど、1年、2年と、何もできない自分がいた。ひどい話ですよね。問題を先送りしていたわけですから。

――転機が訪れたのはどのタイミングだったのでしょうか?

いよいよ来月には倒産するというところまできて、ようやく我に返りました。リストラ策もいくつか考えましたが、最初に手をつけたのは、従業員の給料を15%カットするという暴挙でした。従業員ひとりひとりに「倒産寸前の状況を乗り切らなければいけないから」と伝えていきました。そんな時に店長会議を開いたら一部の店長から、「私たちは全員辞めます。それでも経営できますか?」と迫られたんです。そう言われることは百も承知していたので、こちらも「辞めたいなら辞めていい」と答えました。すると、誰も出て行きませんでした。私に従うと言うんです。それからは落ち着いて、販売促進のために色々な手を打つことができ、結果的には3~4カ月で売上がどんどん伸びていきました。

その時の経験があって今の自分があります。崖っぷちに立たされた時にかわそうとするのではなく、自分と対峙して、正面突破して、乗り越えることができたから自分自身を鍛えられた。それができたから自分を信じられるようになったのだと思っています。

――シェフとして修行された後に出店された「キッチンくに」はどのようなお店でしたか?

亡くなる前の妻と始めた12席の小さな洋食屋で、私がシェフとして全てを仕切りました。「ホテル出身のコックは店を潰す」とよく言われるのをご存じですか?料理がお客さまを呼んでいるのではなく、ホテル全体のサービスが呼んでいるわけで、独立したら自分の魅力で人を惹きつけなければいけなくなるからです。しかもホテルのような料理を、場所に合わないスタイルと価格で出していても日常的に食べてもらえるわけがありません。私も店を潰したくないので、周辺の様子を見て、その地域で喜ばれる料理は何なのかと考えました。それが、とんかつ、エビフライ、ヒレカツなどをお出しする洋食屋としてのスタートです。

――当時から、いずれステーキ屋を展開することは考えていましたか?

もちろんです。ホテル時代の経験から「今後はステーキが来る」と予想していましたし、いずれはステーキ屋をやりたいという想いがありました。それを実現しようと開店から3年ほどでステーキを出し始めましたが、なかなか売れませんでした。安くするために、固くて美味しくないステーキを出しても喜んでもらえない。そこで、絶対にいい肉を出そうと心に決めたのです。当然価格は高くなりますが、それでも一度食べた人がまた食べてくれるような肉じゃなければ認めてもらえないんだという気持ちで、売れなくても我慢して良い肉を出し続けました。

――それほどまでに強い一瀬社長のお肉に対する想いは、いつ形成されたものですか?

高校卒業後、ホテルのコックになる前に、母の紹介で街の小さなレストランに見習いで入りました。「日本で五本の指に入るコックになるんだよ」と母に言われ、私もそう約束をしてこの道に進みました。その初日、店の人が「今日は好きなものを食べさせてあげる」と言ってくれたので、「ビフテキが食べたい」とお願いしたんです。すると「きょうはもうビフテキは売り切れたから、豚でもいいよね?」と、豚のヒレソテーを作ってくれました。それがすごく美味しかった。美味しかったけれど、しばらく経って慣れてきた頃に「あの時はあるのに僕に食べさせてくれなかった」ということに気付いたわけです。

――嘘だったということですね。

そう、当時の私の給料は3000円で、牛ヒレのステーキも3000円でした。当時は和牛しかありませんでしたから高級品です。そんな肉を小僧に食べさせるわけがありません。それでも私は食べてみたくて、洗い場の仕事をしていたので、味見をするわけです。汚いですが、お客さまの残した肉を食べてみたらなんとも言えないほどの美味しさでした。「いつかこのステーキを腹いっぱい食べてみたい」と思うようになったのが、肉への想いが強くなった一つのきっかけです。

私はいつも、ステーキは「食のステータス」だと言っています。誰もが簡単には手に入れられない“非日常性”がステーキにはありました。それを手頃な価格で提供したら、大勢の方に食べてもらえるだろうという直感があったのです。それが現在のステーキ店に繋がっています。

――その直感が後の「ペッパーランチ」「いきなり!ステーキ」の誕生につながっていくわけですが、社長が新しいことに挑戦する時に重視していることはなんでしょうか?

最初からなにか大きなビジョンを考えるわけではなくて、そのビジネスの“可能性”を考えています。大切にしているのは、「この料理を自分が食べたいかどうか」です。食べたいと思える味と価格なのか、魅力があるのか。「自分だったらその店に行くのか?」と自問自答して、行くと思えたらそれが答えです。それならば、自分と同じような考えで、店に足を運んでくれる人がきっといるでしょう。あとは自分の感覚を信じられるかどうか。私は信じることができたから成功させられたのだと思います。

<記者:平澤 尚威>

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

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