株式会社 宝研堂・4代目製硯師
青栁 貴史(前編)/1000年先を見据える硯のマイスター

0Like&Share

Facebook

LINEで送る

石の“性格”を感じ、“表情”の美しさを引き出す
1000年先を見据える硯のマイスター

硯(すずり)の寿命は、数ある筆記用具のなかでも一際長く、千年を超える。字を書く習慣が日常から失われていくなか、数百年前に作られたいくつもの硯が、いまでも姿を変えることなく存在している。

“書く”という文化が急速な変貌を遂げている現代に、「製硯師」(せいけんし)と名乗る、硯のプロフェッショナルがいる。東京・浅草の書道用品専門店「宝研堂」四代目、青栁貴史さんだ。「製硯師」の仕事は硯を作るだけではない。山に行って石を掘り出し、硯作りや修理を通して石を理解し、硯を使う人のために出来るあらゆることに携わる。

青栁さんへのインタビュー前編は、石の“性格”や“表情”を読み取りながら彫り、磨いていく硯作りの奥深さ、そして数百年後を見据えた新しい修理法など、堅牢な石を素材とする硯ならではの匠の技に迫ります。

青栁 貴史さん インタビュー


――“硯職人”とは違う、“製硯師”という仕事について教えていただけますか?

これは父がつけてくれた肩書きです。工房では硯を作ることをはじめ、バラバラになった硯の修理や、メンテナンス、優れた硯を量産するための雛型を作るといった、多岐にわたる仕事をしています。硯のマイスターという意味と、それに相応しいプロフェッショナルでありなさいという訓戒も“製硯師”という言葉に込めてくれたのだと思っています。肩書きが、その想いに応えようという気持ちを自分に与えてくれています。

――この仕事を始めたタイミングは?

高校生の頃から祖父の手伝いで工房に入って、道具を作る、石を磨くための石を整える、漆を溶くといった作業をしていました。彫らせてもらうことはほとんどなく、その頃は小遣い稼ぎのような感覚でした。その分、初めて彫り方を教えてもらえた時はうれしかったですね。

その頃から、家業を継ぐことは意識していました。父がよく仕事で中国に渡っていたので、いずれ必要になるだろうと考えて大学で専攻したのも中国語でした。家業に入る前に一度社会に出て別の世界を見てから戻ろうと考えていましたが、大学在籍時に祖父が亡くなったのをきっかけに、早いに越したことはないと思い、大学も辞めて宝研堂に入りました。

――年月が全てではないと思いますが、やはり経験や蓄積が大きいのでしょうか?

硯は2000年を超える歴史がありますし、“1000年以上使い続けられる”ことが前提の道具です。破壊しなければ半永久的に使える道具を作ろうとするなかで、私たちが石を担いだり切ったりという重労働ができる体力は50年ほどしかありません。作ることだけが仕事ではないので、工房で座っている技術を身に付ける時間が長いだけではダメで、山に行って自然のなかで石に触れ、書家や画家の先生といった使い手のご意見を聞けるような関係を作ろうという心構えが必要です。その時間が長いほど自分の血となり肉となるので、製硯師として成長するためには、硯という文化のなかで空気を吸うことが大切だと考えています。

――硯の作り方について教えていただけますか?

工程としては、硯の材質やデザイン「硯式」(けんしき)を決め、材料となる石が大きければ必要なサイズに「切り」、石を硯の形に「彫り」、そして「磨き」によって目指す硯式へと近づけていきます。

石を彫る技術は当然のこと、“石を読む力”も必要です。それを身に付けるには、何度も何度も彫るしかありません。読むことができていないと、ノミを入れる方向を少し間違えただけで深く刺さってしまうことや、ノミが石層に当たって石にコントロールされるように“刃先が呼ばれて”しまうことがあります。目と技術を養うことで石の様子がわかるようになってきます。

石を硯に“調理”した経験が蓄積されることで、石が壊れにくく、少ない手数で完成形まで近づけられるようになっていきます。手をかけすぎたり、強力な機械を使ったりすると、石に余計な力が加わって、ヒビが入ってしまう可能性があるんです。人間の手術でも、手数が増えるほど、患者さんへの負担が大きくなりますよね。同じように、どれだけ石にストレスをかけずに作れるかが大切です。自分が死んだ後に壊れてしまうリスクをできる限り減らすことが、製硯師としてのこだわりです。

――集中力が必要とされると思いますが、硯を作っている時には、何を意識しているのでしょうか?

彫っている時と磨いている時で、考えていることはおそらく違いますね。まず彫っている時の話をすると、絶えず脳裏にあるのは、3次元的な硯式の完成形です。それと同時に、刀を入れながら、刀の先から石の情報を感じています。脳に情報を伝えるために、刀は彫る道具でありながらセンサーとしても機能しています。石を感じインプットして、イメージした完成形に近づけられるよう刀を石に合わせてアウトプットして行きます。

この刃先は、“固い”というより“鈍くて弾性のある”金属で、使っている数本のなかで一番切れ味のいい刃を触っても肌は切れません。石を彫るにはそういう金属が向いているんです。道具は全て自作で、他の職人さんが使っている道具で彫ろうとしても感覚が違いすぎて難しいと思います。あらゆる道具のなかでこれだけは替えが効かないので、もし火事になった時、最初に手に取るのはこの道具です。

磨く時には、石の“表情”を見ています。石は磨くたびに、ちょっとずつ表情が変わるんです。この作業は、造形を整える工程の最終段階であると同時に、化粧仕上げの前段階でもあります。ここで磨きすぎると「原石の方がきれいだった」という結果になりかねません。ですので、行き過ぎないように俯瞰した視点をもちつつ、石の表情を最大限に引き出せるように磨いていきます。

――“表情”があるということですが、青栁さんは石を生き物のように感じているのでしょうか?

石は生命体ではないので、「自然のなかの一部」だと僕は理解しています。山の斜面から石を切り出していただいてくるのですが、地球が何千万年、何億年もかけて作ってきた石は、10cmずれただけで地層が変わっていくので、全く別物になることもあります。そういった石を硯に変えていくなかで、石にも性格や個体差があるものだと気付きました。「一見すると同じように見えるけれど違う」というのは人間やその他の生物と同じではないでしょうか。

ただ傾向はあって、日本は中国のものより石紋が少なく、“寡黙”な石が多い印象があります。表情が静かなんです。中国の石ほど複雑な構造ではないので、ノミの入れ方でぱっくり割れてしまうというリスクが少ない“おとなしい石”だと思います。

石の個性を知るうえで味覚や嗅覚も役に立つんです。磨いていると、石の粉が水と溶け合ってきて、それを舐めてみると優しい味がしたりエグみがあったり、鉄の味がしてくるものなど、さまざまな石があります。味や匂いから「あのあたりの山で採れた石かな」と想像できることもあるので、味覚という情報もあながち馬鹿にできないものなんです。

――そこまで熟知しているから、石の“表情”を引き出せるんですね。

僕は、仕事の“止め時”がすごく大事だと思うんです。「自分が手をかけるのはここまでだ」という線引き、タイミングがわかっていることが、卓越した名工たちの共通点。中国の皇帝に献上されたような、硯のルネサンス期に作られた“硯の王”とも言える名硯には、素晴らしい彫刻が施されているものも多いですが、その硯を見た人から出る感想は「いい彫刻だね」という褒め言葉より「いい石だね」「いい硯だね」という言葉です。

例えば、好きな俳優さんや女優さんを見た時に、最初から「まつ毛がきれいですね」とかパーツを褒めることはあまりありませんよね。きっと惹かれるのは全体のムードで、その素敵なムードを作り上げる情報になる部分がその人の例えばまつげなど外面や性格などに当たると思います。それが石の表情です。人をより引き立てるための味付けとしての髪型や衣服が、硯においての彫刻や造形ということになりますし、それをやりすぎてもいけません。「いい彫刻だね」という意見しか出ないとしたら、その石を殺してしまっている可能性もあります。どの芸術でも同じかもしれませんが、どれだけ自然がもつ普遍的な美しさを生かしたものを作れるかを追求したいですね。

――割れてしまった硯を「直す」という作業はどのようなものなのでしょうか?

硯と同じ材質の石を砕いて砥之粉(とのこ)と漆を混ぜて、破損した石を貼り付けていくのが、江戸時代から続く一般的な修復方法です。硯は洗ったり墨を磨ったりという動作で圧がかかるもので、接着剤が完全に硬化するとパリッと割れてしまうことがあります。漆が長く使われてきましたが、現代ではより弾性のある接着剤を使うことにで、何百年と使い続けられるような修理ができるようになってきました。

皇族の方が使われている硯の修理をさせていただいた時には、頻繁に状態を見て差し上げることができないので、普段とは違う特殊な直し方をしました。接着するだけでなく、より堅牢にするために、石内部に骨組みとなる細い竹ひごを入れました。この手法は今まで見たことがないので、何百年先になるかわかりませんが、いつかまた修理が必要になったとして、分解された際に発見することになる竹ひごという技術的な提案が後の技術者の技術革新に繋がってくれたら幸いですね。

ただ、なかにはすでに途絶えてしまった修復法もあり、消えてしまうことも危惧しているので、新しい物だけでなく昔からの修復法にも変わらず取り組んでいます。ありがたいことに、「硯のお医者さん」と呼んでくださる方もいて、その表現が製硯師としての硯への向き合い方を代弁してくれているように感じています。使い手のことを考え、生活に寄り添うように直して差し上げられることが製硯師には必要なのです。

技術を身に付けたらおしまいという世界ではなく、相手が自然石なので「技術が完成する」ということはおそらくこの先もありません。技術を身に付け製硯師になることよりも、自然石とのやり取りを通して、硯の先にいる「人」と、「コト」とどれほど向き合っていけるかが製硯師で居続ける難しさであり、それを続けることが製硯師の仕事です。

<記者:平澤 尚威>

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

フォローしてSNSで最新情報をチェック >>

Facebook

LINEで送る