夜景評論家/夜景フォトグラファー
丸々もとお/丸田あつし

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「好き」ではない!
「気持ちいい」を仕事にしなきゃダメ!

住んでいる街の景色、初めて訪れた土地の景色、車窓から見える風景、飛行機や船など、空や海から見える景色。人は日々生活をする中でさまざまな景色に出会う。景色はその字が示す通り、朝焼けから力強い昼の日差しへ。夕焼け、さらに色濃さを増して夜へと、時間の経過とともにさまざまな「色」を写し出してその姿を変えていく。日ごろ見ているはずの景色でも、時折その瞬間に見せる意外な表情に思わず感心させられてしまうこともある。特に美しい夜景に、心を奪われた経験を持つ人は多いことだろう。

今回のGrateful-Japanでは、その「夜景」を素材として、世界各国で演出家として活躍する兄と、その「夜景」を被写体とし、優美な写真を撮り続ける写真家の弟という、おそらくは世界で唯一無二の匠兄弟をご紹介する。夜景評論家/夜景プロデューサー/イルミネーションプロデューサーである兄の丸々もとお氏、そして夜景フォトグラファー/グラフィックデザイナーである弟の丸田あつし氏である。 父の仕事はグラフィックデザイナー。両親共に油絵に興じていたため、週末によく連れていかれた場所は公園よりも美術館や写生会と、幼少期からから美術的な環境で育った兄弟。時を経て「夜景」という一つのテーマで繋がり、互いの持つスキルを存分に発揮しながら、夜景の持つ魅力と可能性を拡げ、多くの人を惹きつけている。夜景に興味を持つ人で、この兄弟が手掛けてきた夜景を見たことが無い人はおそらく居ないのではないだろうか。それほど多くの実績を持つ2人の匠(兄弟)へのインタビュー。ぜひご一読いただきたい。

丸々 もとお氏・丸田 あつし氏インタビュー


Q:「夜景」に興味を持ったのはいつ頃からですか?

□ 丸々もとお氏
小学校時代に入ったボーイスカウトの夏キャンプで、山梨の大菩薩峠から見た甲府盆地に感銘を受けたのがきっかけですね。私も弟も埼玉県の平野部で育ったため、夜景といえば街の街灯を見上げる程度の世界で、高地から見下ろすことが出来る夜景とは縁が無かったので、あの雄大な夜景は今でも目に焼き付いています。それ以来、夜景の魅力に惹かれて、夜中に家を抜け出して、夜景を求めて自転車で俳諧するような小・中学校時代を過ごしました(笑)。

それと、昔から絵を描くのは好きだった(ようです)。両親に聞くと、学校から帰ってきてスケッチブックとクレヨンを渡しておけば静かにしていたとか。まぁ3歳頃から小学校低学年までの話なので、あまりよく覚えていないですけどね(笑)。

□ 丸田あつし氏
幼少の頃から、父と母が自宅で油絵を描いていたので、キャンバス張りを手伝わされたり、影響されて自分も絵や漫画を描いていました。家庭に美術的な基盤があったことはやはり大きくて、必然的に美術系の道を選びましたね。

もともと絵を描くことが好きでしたが、その当時ハマっていたイラストレーターの世界観にあこがれ、またまた父がグラフィックデザイナーだということもあり、美大のデザイン科に進みました。その中で写真の授業があって、最初は全く興味がなかったのですが、自分の考えた画、撮りたい画をその人の感性で自由に切り取れる“写真”というものにどんどん魅かれていった。大学院では暗室やスタジオが使える環境があり、現像やプリントが学べました。父の事務所で本格的にグラフィックデザイナーとして働きはじめた頃、当時出版社に勤めながら、夜景評論家としても活動を始めていた兄から声が掛かり、夜景のガイドブックの撮影を頼まれたことがきっかけで、夜景の魅力に取りつかれていきました。

Q:「夜景評論家」になったきっかけは?

□ 丸々もとお氏
私が「夜景評論家」と名乗って、今年で20年目になります。きっかけは出版社に勤めていた20年前に同じ業界の友人同士が集まって、自分達にしかできない本の企画を考えようという話になり、私が小学生から見続けていた夜景の「ガイド本」を出そうという企画をプレゼンしたことです。その企画を全員が面白がってくれ、最初にそれをやることが決まりました。しかし、自分の本を出す提案を社内にするのにはさすがに無理があり、他の出版社に提案を持って行きます。が、その当時、夜景なんて興味がある人もいなければ、注目されてもいない。出版社で決裁権を持つ上層部の方達も、「夜景なんてみんな同じだろ、そんな本出しても売れねえよ!」と、何社断られたか覚えていないくらいです。

その中で、たまたま夜景の見えるレストランで食事をするのが好きな出版社の社長が興味を持ってくれて、せっかく出すなら何か肩書をつけろ!と。当時、世界中の夕日を見て回る「夕日評論家」として活動する、ゆいさんという方がいて、夕日評論家がアリなら、「夜景評論家」もアリだろうと。それで夜景のガイド本の執筆者としてもしっくりくる、「夜景評論家」と名乗ることになったのです。

Q:「夜景評論家」という商標も取得されています

□ 丸々もとお氏
私のライターの知り合いが、旅行ガイド作家というものをやっていました。私よりも1つか2つ年上ですが、彼も自分で本を出す事になり、海外旅行のオピニオンリーダーということで「海外旅行の王様」と名乗ろうとしていました。「海外旅行の王様:ハワイ編」とか「海外旅行の王様:東南アジア編」とか、シリーズ展開を狙って、「海外旅行の王様」で商標登録申請したところ、なんと取れてしまったんです。「海外旅行の王様」で取れるんだから、「夜景評論家」でも取れる!とアドバイスをいただいて、今度は自分が商標登録申請をしてみたら取れてしまいました(笑)。

「夜景評論家」という仕事に関心を持ってもらう意味で、この商標はすごく良かったと思いますが、やはり重要なのは肩書より実績です。商標でも名刺でも、何でもそうですが、肩書はいくらでも好きなように名乗れてしまいますので、人から注目される目新しい肩書にしても、それが商標を取っていようがなかろうが、そこに意味を持たせるのはやはり実績です。

Q:出版・編集の仕事とのダブルワークから、「夜景評論家」として独立したきっかけは?

「夜景評論家」としてのキャリア20年のうち、最初の10年間はダブルワーク。編集の仕事は基本遅い仕事で、土日関係なく入るため、夜景の本を出す、雑誌の取材を受ける、雑誌の夜景特集の原稿を書くなどは、けっきょくのところ、昼間の仕事との二重生活で骨身を削ってやらないと成立しない。そして、東京という場所に縛られているため、魅力的な夜景がある地方や、海外にはなかなか行けないからスケール感が出せない。そんなジレンマを感じていたある夏の日、夜景の持つ可能性について今一度考えてみたんです。

夜景が持つ癒しの力とか、夜景が心地よかったり、リラックスできる理由とか、何で男性は夜景の前で女性を口説こうとするのだろうかとか、色々と疑問が出てきて、それを科学的に究明したいと思ったんです。それまでも夜景を見て口説く男性心理や、夜景とは別に色彩心理学だとか、色彩学を勉強していましたが、色彩から夜景を評論する事で、何か答えを出せないか、他の学問の知識を借りて、夜景を評論する。景観学から見る夜景、経済学から見る夜景、心理学から見る夜景、医学からみる夜景、歴史学から見る夜景・・・・、色んな発想が頭に浮かんできて、「夜景」を中心に考えられる学問を並べてみたら、およそ30にもなった。自分がやりたい30の課題に対して、一つ一つを2~3年かけてやると計算したら、「夜景」の事をやり切るのには60~90年かかる事にも気づいてしまった。で、サラリーマンをやりながら90年かかる作業をやり切るのは不可能!自分がやりたいことはこのままでは一生かけてやっても無理!と言うことに34、35歳の時に気づいて、これはマズイ、すぐにでも始めなきゃ!と。それが独立のきっかけです。

その当時居たリクルートには、5年在籍した社員が退職する時に「起業支援金」として、1千万円の支援を受けられる制度があったため、私は在職5年1か月で退職を決めて、それを元手に起業しました。辞めた年には、水を得た魚の様に全国の夜景スポットの取材に行って、自分の生活費と取材費であっという間にお金は無くなりました(笑)。ただ、取材で色んな夜景に出会ったことで、それが夜景の携帯コンテンツの地盤作りに役立ちました。そして 少しづつ安定収入が得られ、徐々に計画したことを実行できる状況になりました。

Q:改めて「夜景評論家」「夜景フォトグラファー」の仕事について教えてください

□ 丸々もとお氏
一言で言えば、夜景を使って人を喜ばせる仕事です。独説的や自己満足などではなく、結局、人に喜んでもらって初めてこの仕事の価値が出ます。例えば、夜景を使ってイベントをやるとか、町興しをやりますとか、夜景の写真展でもなんでもそうですけど、自分が満足するためにやると言うより、それを見てより多くの人に喜んでもらうための仕事だと思っています。夜景を評論するのも、演出・プロデュースするのも、夜景が心から好きな自分が感じている感動を、どうやって伝えたら良いだろうか、またどう伝えたら一般の人に喜んで見てもらえるだろうか、感動や喜びを他者に依存する形で考えるわけです。出版社時代には「読者目線」として、そういったトレーニングを10年くらいしていた訳ですが、それが結果的に今やっていることに、結びついてきているのかと感じています。

□ 丸田あつし氏
一言で言えば、夜景を専門に撮るカメラマンです。単純すぎますが(笑)。僕はこの19年間、夜景を演出する兄と組んで、夜景の魅力や美しさを余すこと無く画に残すことに注力してきました。綺麗な夜景を撮るために重要なことは、まずそのスポットの特性をしっかりと理解することです。夜景を鑑賞する人は、当然暗くなってから展望台などを訪れますが、撮影する側からすると、それでは細かい周辺状況を理解するのは難しい。そのスポットがどんな特性を持っていて、どんな画を撮れるチャンスがあるか?などの見極めができません。一度明るい時間に訪れ、様々な可能性を探るようにしています。撮影を始めるのは基本的に夕方から。夕暮れや夜明けの時間帯は、一日の中でひときわ表情豊かに風景が変化していきます。僕はここを“夜景の入口と出口”と呼んでいますが、特にこの時間帯を大切にし、その移り変わりを刻々と撮影していくといったイメージです。

また、明るいうちからロケハンをする意味は、安全性の確保という側面もあります。特に海外での夜の撮影は、周辺の治安など、昼間に行って何となくその場の空気を感じておくことが重要です。夜になって急な気候の変化や危ない事態に巻き込まれそうになっても一度下見をしておけば、臨機応変に対応できます。

ただ単に「夜景を魅せる」ではなく、さまざまなテーマを持たせて、より「夜景」の魅力と可能性を拡げて行くことや、スムーズに撮影を進めるため、安全面での配慮をしています。

Q:写真集では「夜城」や「夜光列車」など、さまざまなテーマを展開されていますね。

□ 丸田あつし氏
国内の撮影では、車で移動する事が多いですが、その間、2人で「こんな事できないか、あんなことも楽しそう~」と雑談の中から様々なアイディアが飛び出します。夜の城を撮り始めたのは、某航空会社さんとの連載がきっかけでした。夜景を求めて日本中を旅するという企画でしたが、その中で松江城を訪れた時、深夜に到着したためライトアップが消えてしまって真っ暗だったんです。でも静まり返った闇の中で城と対峙すると、時を超えて自分たちがその城の建てられた時代にタイムスリップしたような、まわりに忍者でも現れるのではないか(笑)?そんな感覚を味わったんです。お城は大抵、昼間は大勢の人々でにぎわっていたり、夜はライトアップされたりと、すごく観光地化されていますよね。でも光が消え人影が無くなると、こんなにも想像力をかき立てる存在なのだとその時に気づいて。「夜城」は、そんな2人の体験から生まれました。

Q:“夜光列車”なんかもそんなきっかけで生まれた?

□ 丸田あつし氏
夜光列車については、車移動だと時間がかかる九州などのロケに行く時、ちょくちょく新幹線やローカル線を使うようになった事がきっかけです。車窓に現れては消えてゆく情緒的な風景を見ているうちに、夜景と電車の組み合わせも良いなと。兄は昔から色々と物を作るのが好きで、僕も彼の鉄道のジオラマ作りを手伝ったりしていました。そんな幼少時代の記憶も甦り、“夜光列車”という企画のイメージは広がりました。静寂に満ちた駅舎、薄暗い町を走る一本の光‥。そんな心に染み入る情感に溢れた世界を想像しながら、2人ともさらにその思いが強くなり「やろう!」という感じでしたね(笑)。

Q:これからやりたいテーマとして、イメージしていることはありますか?

□ 丸田あつし氏
比較的近い未来に実現したい事として、以前に新聞の連載で行った「東海道夜景五十三次」という企画の海外版ですね。内緒ですが、もうタイトルも決めています。数千キロにおよぶ道のりを旅しながら、各地の歴史に触れ自らの感情を織り交ぜた作品作りをしたいと思っています。それとこの仕事をしていく中で、死ぬまでに実現したい事として、世界中の国々(約200か国くらいでしょうか?)の夜景を全て撮影し、一冊にまとめた大判の作品集を出版したいです。もちろん写真展も。夜景フォトグラファーとして活動している僕にとっては、大きな実績になります。きっと“地球中の夜景を撮った”と言っても許されそうですよね。(笑)

Q:「夜景遺産」「夜景検定」「夜景サミット」など、これまでになかった取組をされています。

□ 丸々もとお氏
日本人の夜景観賞文化はある意味特殊で、日本人ほど夜景が好きな民族は世界でも類がないと思っています。雑誌で夜景の特集が組まれているなんて、海外では考えられない。「三大夜景」などとブランドを作って、旅行商品を作るというのも日本独自のものだし、そういう日本人の夜景に関する価値観は、「夜景遺産」や「夜景検定」などといったテーマに横展開することで、また価値が高まる。また日本独自の夜景の楽しみ方は海外にも輸出できると考えています。初めて海外に日本の夜景文化を伝えるイベントとして、まずは香港で「夜景サミット」をやります。

夜景評論家として、最初の10年はサラリーマンをやりながら、夜景のガイドブックや本の出版。次の10年はさまざまな観光施設や自治体と組んで、夜景をテーマにした町興しをやってきました。これからの10年はそういった実績と経験を活用して、海外展開を中心にやっていくべきと考えています。日本の夜景観賞価値や夜景の楽しみ方、インバウンドとアウトバウンド両方を実現していきたい。これまでイルミネーションのプロデュースも数多くやって来て、東京ドイツ村の例などを見ても、お金を払ってイルミネーションを見るというレジャーは日本特有のもの。海外でもシャンゼリゼとかあるけど、それをビジネスにしようという感覚はありません。日本では一つのエンターテイメントとして何年も定着し、ショーアップされたイルミネーション空間にお金を払う価値が確立出来てきている。もともと日本人が発見した青色発光ダイオードが、中国とか海外製で作られて、非常に安くて良い物が作られているけど、それを演出してお金の取れるものに変えていける演出力っていうのは、日本人の強みだと思う。だから日本から海外に輸出して成功できると考えています。

Q:経産省のやっている“クールジャパン”に近い考え方ですね。

□ 丸々もとお氏
そこは政府の支援云々とかは関係なく、独自で考えています。「国がお金を出す」ということは、必ず何らかの制約や条件が付けられてしまい、やりたい事、表現したいことが100%やり切きれなくなってしまう。その枠の中でやっていくという時点で、何となく誰かに媚びた感じがでてしまうし、エンターテイメントとしてつまらないものになってしまう。だからこそ、独自でやることが重要だと考えています。この間、飲みの席で、ある施工会社さんと知り合って、ドイツ村のようなエンターテイメントをアフリカでやろうなんて話になって(笑)、できたら面白いですよね?そういうのは国の力云々ではなくて、大使館などが興味を持ってくれれば、実現が出来る可能性があります。

Q:プロの「夜景評論家」「夜景フォトグラファー」として心掛けていることは?

□ 丸々もとお氏
当たり前のことのようですが、人の意見を聞くことです。多くの経験を積んで実績が出てくると、自分で勝手に「イケるな」と安易に成功をイメージしてしまうことがある。つまり慢心してしまうことがあります。最後はプロデューサーである自分の発想と判断になりますが、決定までのプロセスにおいて、常にフラットに人の意見を聞くことを心掛けています。象徴的なエピソードとして、ある展望台で夜景を見ていたら、急に子供が展望台に走り込んできて、広大な夜景を見るなり「犬が見える」と言ったんです。訳わからないでしょ(笑)?実はその子供は、その展望台から見える膨大な光の粒の間にある「闇」の部分を切り取っていて、それが犬の形に見えていた。それは、その子が光を見ないで闇を見ていたということ。そうやって自分では気づけなかった夜景の隠された楽しみ方に気づくこともある。だから、常にリアルな一般の人たちの声を聞くことが重要なんです。

それと、何よりも素材である「夜景」を見る機会を可能な限り増やすということです。私にとって夜景とは強いイマジネーションを与えてくれるものなので、見ているだけで、頭の中が整理され、視野が広がります。人間は大事な事を考えたり、集中している時というのは、すごく視野が狭くなって一点しか見ていない状態に陥りやすく、その状態で物事を考え続けていても良いアイディアは生まれません。私にとって夜景を見ている状態は、自分の心と視野が広がっている状態なんです。だから日々たくさんの新しい夜景を見ることを一番に心掛けています。

□ 丸田あつし氏
撮りたい画のイメージを常に持つこと、そして風景との最初の出会いを大切にすることです。長期におよぶ撮影では、日々たくさんの景色に出会います。テーマや撮りたい画をしっかりイメージしておかないと、そのスポットで撮れる画の可能性に気づかず、逃してしまうかも知れない。最初の印象を大切にしながらイメージを膨らませます。あとは準備ですね。撮影スポットへのアクセスや日の出と日没時間はもとより、気候や天候、周囲の環境などを調べ、必要な機材・装備を用意する。当日の天気は人間の力でどうこうできるものではないですが、撮りたい画を求めるためには、そういった準備が必要です。

それでも海外での撮影だと、滞在期間中ずっと天候に恵まれず、何の成果もあげられない時だってあるし、それとは逆に急に天気が回復して、劇的に空が晴れたり、空気が澄んで想像以上の画が撮れるときだってあります。しっかりとしたイメージを固め準備をした後は、あまりジタバタせずにその時々の流れにまかせます。もし現地でダメな予感がする時も、なるべく気持ちをポジティブな状態に保つよう心掛ける。悪い状況でも突然、状況が好転するかもしれない!と少しの可能性を信じて粘ってみたり(笑)。

Q:改めて兄弟で同じ仕事をされているメリットは?

□ 丸々もとお氏
一番のメリットは自由度ですね。弟だし、しかも親父の会社に居るだけに何でも無理が利きやすい(笑)。それと、意思の疎通がしやすいのが何にも代えがたいメリットです。お互いに幼少の頃から性格を知っているだけでなく、20年近くもいっしょに仕事をしてきている訳だから、だいたい同じものを見て考えている。あの時のあの写真、とか、あの時のあの場所とか、具体的な説明をしなくても、あ・うんの呼吸で理解ができている。それぞれに感じ方は違ったとしても、同じものを見ている事実があるから、深いコミュニケーションができる。これってどんな仕事をするのにも大きなメリットだと思います。

□ 丸田あつし氏
それと、お互いに違うスキルを持っていて、それを活かしていることだと思います。撮影のスキル、デザインのスキル、書くスキルと、仕事をコンサルティングするスキル、プロデュ―スのスキルとは方向が違う。でもそのふたつを融合させると何でもできてしまうので、お互いに完成形やそこに行きつくまでのプロセス・スケジュールが見えやすい事も大きなメリットだと考えています。

Q:お互いの能力を理解していて、完全に役割分担ができている訳ですね。

□ お二人
Yes!

Q:新しい領域を確立するためにどんな努力をしていますか?

□ 丸々もとお氏
それは、どんなことがあっても辞めずに継続する事です。辞めたら失敗する。

辞めない限り成功するか学ぶかのどちらかなんです。一回「これをやります」と決めた瞬間に10年はやるという覚悟があってやっているかどうかということだと思います。「夜景サミット」も「夜景検定」も「夜景遺産」もみんなそうですし、常に一度始めたら10年続けられるかというところを判断基準にしています。あとは、継続するために、どういう事をやればいいかを考えるだけです。

Q:若い世代向けのメッセージにも取れました

□ 丸々もとお氏
若い時には、なかなか何十年間の継続というところまで考えを巡らせるのは難しいかも知れないけど、今日明日の感覚とか、来年どうなっているか分からないっていう楽しさも、一方で味わえていると思います。僕はその両方を楽しみたくて、意外としっかりとした事業計画は立てないです。ただ、始めたことは最低でも10年間は絶対にやめないという事だけは決める。途中で辞めるという選択肢は始めから持たないようにしています。

Q:ご兄弟でいっしょに計画とかは立てたりしないんですか?

□お二人
しない!しない!(笑)お互い勝手に立てて、あとは2人でやるかやらないかの判断だけですね(笑)。

Q:やりたい事が一生かかってもやりきれないくらいありますが、今後も兄弟タッグは続いていきますか?

□ 丸田あつし氏
そうですね。ひとつ夜景というものが軸にありますので、続けて行きたいですね。

□ 丸々もとお氏
今後も色んな役割は変容するかもしれませんが続いて行くでしょう。 弟もカメラマンでありデザイナーであってやっているけれども、それだけで終わらない可能性だってあります。今は個々の領域があって、そこを重視した方が上手く行っていますが、お互いに一回きりの人生だったら、別にカメラマンとかデザイナーに拘らなくても、「夜景」からぶれることさえなければ、形は変えて良いと思っています。

Q:「夜景遺産」「夜景検定」「夜景サミット」など、これまでになかった取組をされています。

好きか嫌いかで仕事を選ぶのではなく、
気持ちいいか、気持ちよくないかで選ぶべき!

自分の感覚的なところで職業を選ぶのが、間違いのない選び方だと思う。「好きな仕事」というのは、いつか嫌いになる可能性があるけど、自分が「気持ちいい」とか「心地いい」という感覚は、人間が五感で感じる本能的なものだから、逃げようがない。

文章を書くのが好きでそれを仕事にしたとして、自分より圧倒的に文章がうまい人と出会ったりとかする、そこで挫折してしまったり、苦手意識が重なって嫌いになってしまう可能性がある。 だから好きな事を仕事にするというのは、そもそも間違っている。 気持ちいいことを仕事にしなきゃダメなんです!

□ 夜景評論家:丸々もとお氏
誰が何と言おうと、
私は夜景を見ていて
気持ちがいい!

□ 夜景フォトグラファー:丸田あつし氏
誰が何と言おうと、
私は夜景を撮っていて
気持ちがいい!

"日本の匠に尊敬と感謝の思いを込めて" - Grateful JAPAN

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